昨年11月、インフルエンザで急逝されたKeith Fagnou教授(University of Ottawa)。 C-H activationの化学において華々しく名を馳せた期待のカナダ人研究者の突然の訃報は、京都でのIKCOC開催期間と重なったこともあり、瞬く間に世界中を駆け巡りました。
残された研究室のメンバーや、生前のFagnou教授と親交の深かった研究者が一同に会し、その遺志を後世に伝えてゆくべくKeith Fagnou Organic Chemistry Symposium という小さなシンポジウムが、先日オタワ大学(カナダ、オンタリオ州)で開催されました。以下、一部のみ(聴けた講演は二人のみですが)に参加して来た筆者のレポートです。
オタワに到着したのは昼時。シンポジウムもお昼の休憩時間であったため、会場であるオタワ大学キャンパスから程近いバイワード・マーケット(Byward Market)で時間を潰した後、13時開始のポスター会場へ赴きました。廊下の”ちょっと広くなっている辺り”にぎゅうぎゅうに詰め込まれたポスター会場は、規模こそミニ・シンポジウムのそれでしたが、学生同士の活発な議論で活気に満ちていました。参加者のほとんどが地元オンタリオ/ケベック州の人間であったため、フランス語でディスカッションをしている人が予想以上に多く見られました。ネイティブでバイリンガルとは便利ですね。言語はさておき、かなりの割合のポスターがC-H activation関係。ポスターを張っている学生も他人のポスターを見て回るわけですから、これはつまり、聞き手も話し手も「C-H activationは腕に覚えあり」なわけで、議論が白熱しないはずがありません。
ポスターセッション後、講演を聴くことができた研究者の一人目はMark S. Taylor博士。学部はトロント大学卒(Lautens研でRA)、Ph.DをJacobsen研(当時:ハーバード大学)で取得し、Swager研(MIT)でポスドクを経験した後、2007年から母校トロント大学でAssistant Professorとして自らのグループを率いておられます。
Mark S. Taylor博士
講演内容は大きく分けて3つ、
1. ハロゲン結合相互作用を用いた、ハライドアニオン受容体
2. Borinic acid-ジオール間相互作用による化学センサーと、直接アルドール反応への応用
3. (未発表データを多く含むため伏せます)
でした。
ハロゲン結合は、固体結晶中で分子ネットワークを形成する要因となる相互作用として知られていましたが、
・溶液中での挙動はどうか
・それを応用して何かできないか
というTaylor博士のアイデアの元には、Jacobsen研時代に打ち込んだ水素結合(チオウレア触媒を用いる)による触媒反応の研究もあるのかもしれません。講演冒頭の「生体機構で重要な結合は、おおよそ非共有結合である」という一言が印象的でした。緻密な化学を突き詰めると同時に、その現象を大枠で捉え、類似の理屈で他に開拓の余地は無いのかを探る。研究者として常に頭の片隅に置いておきたい理念だと思います。
そして中盤以降は、Borinic acid(一見Boronic acidと見間違えてしまいそうですが)とジオールによるボラート生成の平衡反応をヒントにした仕事。水中室温での直接アルドール反応は、ピルビン酸型基質のジケトン部位が平衡反応でジオールになったところを、触媒量のborinic acidで捕捉して反応させるというもの。アイデアの原点からその展開へと至る過程まで、見事に流れるような講演は時間がとても短く感じました(50分)。見ればシンプルでその理屈はわかり易い、ところがなるほど、なかなか思いつかないモノだなと唸ってしまう、Taylor博士の仕事も、そういう仕事でした。
二人目はFagnou研同様、近年C-H activationの世界で並み居る強豪を押し分けて現れた、まさに新進気鋭の Melanie Sanford博士。正直な話、筆者はこの人の講演が観たくてオタワまで足を伸ばしたのでした。
Melanie Sanford博士
講演内容はこのブログをご覧の皆さんがご存知の通りの仕事の数々を、「元のアイデアを考えた順」にお話されているようでした。元々Sanford研の論文は、各論文のキーとなる発想がどのようにし て生まれたのかという流れがとても丁寧かつ親切な書き方をされている、そういう印象を筆者は持っていました。この講演では、さらに論文と論文のスキマのエピソードも多く話してくださり、聞き手としては直接話を聞いた充実感の高い講演でした。一番最初と一番最後に示されていたのは同じスライドで
というもの(↑は筆者が記憶から再現したもので、実物とは多少異なります)。
新たな反応開発には既存の反応機構の解明が助けとなる。だからこそ、反応機構に関する研究をとても大事にしているのだと。Pdを一般に不安定と考えられている2価以上の酸化状態にすることによって、続く還元的脱離を促してカップリングさせる、という発想も、この哲学が根底にあるが故に自然なコトなのでしょう。しかしながら、よくよく考えてみれば「何故、どうして」という疑問や好奇心こそが化学ならびに科学の起源であり、本来当たり前であるはず。一方、「必要は発明の母」とも言えるわけですが、競争原理にあてられて、いくらか「なぜ?」がおろそかにされている部分があることを否めない社会において、やはり本質に則った道、いわゆる王道を貫く者こそが、どんな問題に対峙してもオールマイティーに強いのだ、と示してくれる良い例なのかなと思いました。また、Sanford研の最近の仕事ですが、メタン2分子をカップリングさせてエタンにする、という仕事は、今後の発展の仕方によっては資源の使い道を変え得る仕事になるのではないかと思います(このプロジェクトもこの前パブリッシュしたばかりなのに、すでにその上を行く未発表データをお披露目)。今後も大注目の研究者です。
最後に、Lautens研時代にFagnou教授の後輩であったTaylor博士は、講演に入る前「カラムの掛け方など、何から何まで研究室テクニックの全てをFagnou教授から教わった」というお話をされていました。研究テーマからして明らかなライバル関係にあったはずのSanford博士は、Fagnou教授とは頻繁にメールで議論をする仲であったようで「いつも未発表のデータも含めて出し惜しみ無く、互いにその先を知りたい一心で協力してきた/彼との最後のメールも、反応機構に関するものだった」と語られていました。また、二人とも一貫してデータよりもアイデアや哲学を前面に出した講演であったように思います。敢えてこう言ってしまえばデータなど後から論文を調べればいくらでも読み返せるわけで、こういう風に人前で哲学を語ってくれる大人=まさに“Doctor of Philosophy”なのだな、と今後の自分の道についても参考になる、充実したシンポジウムでした。
とあるカナダ人研究者の志は、こうして確実に引き継がれています。
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