最近はどの論文雑誌にも、必ず一つはカルベンに関する研究が報告されている気がします。
そのカルベン、いろんな利用法が拡大・展開している中で、ごく最近見かけるようになった「カルベンを用いた不安定化学種の安定化」に関する一連の論文を紹介します。
一昔前までは、それ自身が不安定化学種だ、と言われていたカルベン。ところが今では、不安定化学種を安定化する側として利用されつつあります。
2007年にGregory H. RobinsonらによってJACSに発表された論文を皮切りにカルベンで安定化された様々な典型元素化学種が相次いで報告されています。二つ(or三つ)のカルベンで挟まれたカルベンサンドイッチ化合物の例を、ずらっと一覧で紹介します。
2007年 カルベンで安定化された「ジボレンHBBH(1)」by Gregory H. Robinson(JACS)[1]。
Yuzhong Wang, Brandon Quillian, Pingrong Wei, Chaitanya S. Wannere, Yaoming Xie,
R. Bruce King, Henry F. Schaefer, III, Paul v. R. Schleyer, and Gregory H. Robinson. J. Am. Chem. Soc. 2007, 129, 12412-12413. DOI:10.1021/ja075932i
(1)はNHCBBr3の還元反応によって合成されていますが、水素源が何なのか現在のところ詳細は不明とのこと。ある講演中、質問者から「H2の付加は可逆的で、結晶構造としては付加体が安定なのでは」という意見が。まだまだ条件を精査できるだろうし、おそらく、このアプローチによって近い将来、BB三重結合が誕生することと思います。
2008年 カルベンで安定化された「二重結合を持つ0価のSi2(2)」by Gregory H. Robinson(Science)[2]。
Yuzhong Wang, Yaoming Xie, Pingrong Wei, R. Bruce King, Henry F. Schaefer III,
Paul von R. Schleyer,* Gregory H. Robinson. Science 2008, 321, 1069 DOI: 10.1126/science.1160768
日本にも世界トップクラスのケイ素化学者がいますが、彼らにとってもこの化合物の衝撃は大きかったのではないでしょうか。Robinsonがどこまで予想して行った反応かは存じませんが、こういう化合物を合成できる先駆者が日本人からも現れて欲しいと期待してます。筆者個人的には、Si(0)2を二電子酸化することでSiSi間に三重結合性が現れるのか気になるところですが、昨年、Robinsonの講演を聞く機会があり、直接質問してみたところ、「さぁ~~~~??酸素でやればいいのか???」という返答が??!!
いやいやいやいや。あ、でもその講演中、彼は以下に出てくる(8)を酸素に晒すとNHC P(=O)2P(=O)2 NHC になる、という反応を報告していたので、本気だったのかもしれませんが、この反応自体も一重項酸素を使っている訳ではないので、メカニズム的にどうなんだろうと思ったのを覚えています。
2008年 カルベンで安定化された「P1(3)、P2(4)、P4(5)(6)、P12(7)」 by Guy Bertrand(Angew)[3]。
Olivier Back, Glenn Kuchenbeiser, Bruno Donnadieu, and Guy Bertrand. Angew. Chem. Int. Ed. 2009, 48, 5530 -5533. DOI:10.1002/anie.200902344
Robinsonとは違うアプローチによるカルベンサンドイッチの合成法。安定な水素やアンモニア、P4中の結合を切断・活性化できるカルベンが、一方では、不安定化学種を安定化することもできるとは、面白い化合物だなとつくづく思います。
2008年 カルベンで安定化された「P2(8)」by Gregory H. Robinson(JACS)[4]。
Yuzhong Wang, Yaoming Xie, Pingrong Wei, R. Bruce King, Henry F. Schaefer III, Paul von R. Schleyer,* and Gregory H. Robinson. J. Am. Chem. Soc. 2008, 130 (45), 14970-14971 DOI:10.1021/ja807828t
ホウ素、ケイ素に次いで常套手段でRobinsonにより合成されたもの。論文を細かく見るとフロンティア軌道の解釈の仕方が興味深く、例えば、C=P-P=Cのブタジエンとも取れるHOMOに関して、P-Pのπ*軌道に二つのカルベンロンペアが配位しており、さらにカルベン炭素上のp*へ各P原子のロンペアが逆供与している、と説明することで、あくまでもカルベンとP2を切り離して捉えるという考え方。
2009年 カルベンで安定化された「二重結合を持つ0価のGe2(9)」by Cameron Jones(Angew)[5]。
Anastas Sidiropoulos, Cameron Jones,* Andreas Stasch,* Susanne Klein, and Gernot Frenking. Angew. Chem. Int. Ed. 2009, 48, 9701-
9704. DOI:10.1002/anie.200905495
RobinsonのSi(0)2のゲルマニウムバージョン。一見オリジナリティが無いこの化合物、でも実は還元剤がポイントでKC8ではうまく行かないと論文中に述べられています。今後、炭素、スズ、鉛も出て来るのでしょうか。
2010年 カルベンで安定化された「P2ラジカルカチオンとジカチオン(4+.)(8+.)(8++)」by Guy Bertrand(Nature Chem)[6]。
Olivier Back, Bruno Donnadieu, Pattyil Parameswaran, Gernot Frenking, and Guy Bertrand. Nature Chem. 2010 ASAP DOI:10.1038/nchem.617
Ph3CB(C6F5)4を用いたNHC P2 NHCの一電子及び二電子酸化反応により、P2ラジカルカチオンやP2ジカチオンの合成が達成された。常磁性種や電子欠損化学種も安定化できることを示した初めての例。
言うまでも無く、二つのカルベン間のジボレンやSi2、Pn、Ge2はそれ自身(またはその構造)では安定に存在できない化学種です。
どうでしょう。なんかもう 何でも挟めそうな勢いですね。
一方で、一つのカルベンで安定化された不安定化学種もいくつか報告されています。その反応性に関して一つだけ見てみましょう。
AngewのASAPから、カルベンで安定化された「ジクロロシリレン」の反応性(10)(11)[7]。
Rajendra S. Ghadwal, Sakya S. Sen, Herbert W. Roesky,* Markus Granitzka, Daniel Kratzert, Sebastian Merkel, and Dietmar Stalke. Angew. Chem. Int. Ed. 2010, 49. ASAP. DOI:10.1002/anie.201000835
ケトン類との反応により、五配位のケイ素エポキシドや類縁体が得られるというもの。
こちらもカルベンによる安定化無しでは簡単には合成できない化学種だと思います。
この反応から予想すると、上述のカルベンサンドイッチからも、いろいろな反応性~新規化合物への展開が可能だと思います。
今では、どこの研究室でも手に入るようになったカルベン。
使い方次第で、ScienceやNatureChem、JACS、Angewレベルの研究も達成可能だというのが現状かと感じています。
ある意味、化学者としての頭脳と腕が試される化合物・研究領域ではないでしょうか。
同じ食材縛りがあっても、「鉄人」になれるかどうかを決めるのはアイディアと調理技術次第ってことですかね。カルベン、皆さんならどのように展開しますか??
参考文献
[1] J. Am. Chem. Soc. 2007, 129, 12412-12413. DOI:10.1021/ja075932i[2] Science 2008, 321, 1069 DOI: 10.1126/science.1160768
[3] Angew. Chem. Int. Ed. 2009, 48, 5530 -5533. DOI:10.1002/anie.200902344
[4] J. Am. Chem. Soc., 2008, 130, 14970-14971 DOI:10.1021/ja807828t
[5] Angew. Chem. Int. Ed. 2009, 48, 9701-
[6] Nature Chem. 2010 ASAP DOI:10.1038/nchem.617
[7] Angew. Chem. Int. Ed. 2010, 49. ASAP. DOI:10.1002/anie.201000835