日々研究現場で過ごしていると、こういう批判を聞く機会には事欠きません。それは日本でもアメリカでも、どこでも変わらないようです。
各自の基準で判断すれば、掲載に納得行かないところもでてくる・・・これは何も不思議なことではありません。人それぞれ評価基準は違うのですから。
しかし人は、とかく一般性のある「他人を納得させられる理由」を求めようとしがちです。必然、根拠の薄い有象無象の噂(myth)が、研究者間で飛び交うことにもつながってきます。
先日、超一流ジャーナルたるNatureが、この「ジャーナル審査に関する根拠のない風評」に対してEditorial上で払拭を試みていました (Nature 2010, 463, 850.)。
大変面白い内容なので、ここで紹介してみましょう。ジャーナルが研究発表の場となっている以上、編集サイドの考え方も知っておくに越したことはありませんしね。
- ①「Nature誌はインパクトファクターを上げるため、引用されやすい論文を優先的に受理している?」
実にこの噂はほうぼうから聞こえて来ます。研究者の皆さんならば、誰しも一度は耳にしたことがあるものでしょう。
これに対してNature側は
・論文毎に引用数を予測するのは大変難しい
・論文の重要性と引用数は必ずしも相関しない
ということをはっきりと述べて根拠のない噂だと断じています。
例えば2006年6月に有機合成領域から出された2つのペーパーを例にとると、2009年末までの被引用数は以下のとおりになっています。
Endersらによる、多成分有機触媒反応の論文(Nature 2006, 441, 861) = 182回
Stoltzらによる、ねじれアミド合成の論文(Nature 2006, 441, 731) = 13回
前者(有機分子触媒)は今を時めく流行研究分野であり、引用数は確実に多くなる傾向があります。事実このペーパーは、2006年にNatureから公開された論文中、被引用数第4位を記録しています。
しかし後者(構造有機化学)は引用数こそ少ないものの、基礎的研究としては重要な位置づけにあります。C&EN・Angewandte Chemieにもハイライトとして取り上げられており、コミュニティの評価は決して低くないことが伺えます。構造系の論文は全ての基礎となるため、得てして重く評価されます。引用数と重要度は必ずしも相関しないという良い例でしょう。
このような性質の異なる論文をともにアクセプトしているという、懐の深い評価基準にNature側は誇りを持っているとのことだそうです。
しかしながら、憶測のような選定基準は、露骨ではなくとも確実にあるだろう、と筆者個人は推測します。
論文引用数は研究人口に大きく左右され、特に後者のようなあまりの基礎的研究は短期での引用予測が大変難しい・・・Natureが述べるとおり、これは良く知られた事実でしょう。
しかしその一方で、引用数やインパクトファクターでジャーナルの格が比較評価されてしまうのも疑い無き現実なわけです。
となれば「現在流行の論文と今後化ける可能性がある論文、両者を適切な比率で押さえておく」ことが、一流ジャーナルの地位を保つ戦略として妥当なのでは無いでしょうか。Natureがそこを考慮してないとは到底思えないわけです。
- ②「Nature誌は論文をリジェクトするため、否定的なレフェリーを一人入れる?」
Natureの論文採択率は全体で10%未満(日本8%、欧米15~16%、中国3%:2004年)というデータがあります(参考PDF)。ここまで低いと、研究者がそう思いたくなる気持ちも理解出来なくは無いというもの。
これに対しては、「全てのレフェリーが『こりゃアカン』と思った論文」でも、エディター側の判断で掲載に踏み切った例もいくつかあるのだ、と反論しています。
加えて
「エディターはラボや科学コミュニティに属して継続的に論文を読んでるプロフェッショナル」
「論文は最低2~3人のレフェリー(学際的な論文はもっと多人数)によって査読されている」
「レフェリーの意見は参考にするが、あくまで掲載決定権はエディターにある」
「論文著者の国籍や所属は採否に全く影響しない」
「有名な研究者のものでも、もちろん普通にリジェクトする」
とも述べています。
これについては全くそうなのだろう、と感じます。
幅広い分野から良い研究論文を欲しいNature側からしてみれば、「偏った差別意識」や「既に分野を確立してしまった研究者べったりの姿勢」を審査過程に必要以上に盛り込む意味があまり無いように思えるのです。
- ③「少数の特権的レフェリーが決定権を握っている?」
おそらくリジェクトを理不尽に感じた研究者が広めた噂なのでしょう。
現実にはそれは全くの誤りで、昨年査読を依頼したレフェリーは5400人にものぼっているとのこと。また新規技術に強い若手のレフェリーを、常時積極的にリクルートしてもいるそうです。
また、Natureに論文を出しているかどうかはレフェリー選定基準にはならないとのこと。
競合的分野で感情的/政治的に起こりがちな理不尽リジェクトを避けるためにも、著者側が指定する「回して欲しくないレフェリー」はちゃんと考慮するとも語っています。
なるほどジャーナル編集側もいろいろと考えてるものですね。
こういう努力がきっちり払われているとすれば、個々のペーパーに関してはいろいろ議論は尽きないにしろ、総じて見れば概ねフェアな勝負フィールドになってる、と言って良いのではないでしょうか。
- おわりに
今回のEditorialが掲載された背景には、おそらくサイエンスの信用土台を崩しかねない事件が多発していること(Climategate事件や各種捏造問題、論文にまつわる脅迫事件など)も少なからず関連していると思えます。
そんな中でもNatureはあくまでフェアなスタンスを貫き、科学コミュニティの意識向上に努めている――このEditorialは科学メディアをリードする立場からの声明にもなっているわけですね。
妄信というのは根拠が無いゆえになかなか潰えにくいものです。結局こうやって地道に宣伝していくしか方法がないのでしょう。なかなか悩ましいところです。
ところで冒頭のような「なぜこれがアクセプトされてるの?」的批判に対しては、筆者としてはいちいち突っ込むこともしたくありません。それぞれの研究者が独自の意見・評価を持って良い多様な世界ですし、それを述べることもまた自由だと思っているからです。筆者自身もこのブログで、不遜な見方で物申しあげてるとこも正直無くはありませんし(^^;
ただ、そこでたびたび持ち出される理由づけについては、やや首を傾げることも正直少なくありません。
例えば良く耳にするものに、こんな理屈があります。
「あの研究者はエディターとべったりなんだよ、所詮政治」
「ビッグネームだから、くだらないペーパーでも採用されやすい」
「たいしたことないデータを文章と絵で上手く見せてるだけ」
・・・
いかにももっともらしいがゆえに、実のところ多くの人が受け入れてしまいがちな理由付けではないでしょうか。
もちろんそういう側面はあるのかも知れませんが、これを鵜呑みにしてしまうのは、些か思考停止気味、建設的な姿勢ではないとも感じます。
特に最後の理由などは、提示データの質が高い反面、英文執筆とプレゼン技術に劣る日本人研究者から度々聞かれるものです。論文は人に読んでもらえてナンボなものですから、全く的を外した意見そのものと言えるでしょう。
ジャーナルの審査過程は完全匿名でベールに包まれているがゆえ、ジャッジの結果は時に理不尽さを伴います。研究者といえども人間なので、それをネガティブに見て他人に責任転嫁してしまう事例も山ほどある――これは間違いないようです。
しかし重要なのは、誰しもがそういう傾向を持つことを自覚しつつ、根拠のない憶測に依りすぎることなく、日々の研究品質向上に向けて取り組むことではないでしょうか。実力も無く最初から偉い人はどの分野にだって居ないはずですから。
特定の論文が掲載に値しない理屈を得意げに分析して語ったところで、自分の地位が変化するわけでもありません。文句たれてるヒマがあったら、一心不乱に自分を磨き、いずれ一流ジャーナルに載っけられる(かも知れない)研究アイデア・戦略を100個でも200個でも出し続ければいいのにな・・・
などと筆者なんかは考えてしまうのですが、こういう意見は些かマッチョすぎでしょうか?(笑)
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このNatureは本当にNatureに値するのか?という議論の実例について。
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Nature アクセプトまでの流れ
論文審査の基本的な流れを知りたい方にとっては、この記事が分かりやすいです。
一流誌の論文審査と採用率(PDF・日本語)
How to get published in Nature (PDF・日本語)
特に後者の資料は必読で、「Nature側はここまでやっているのか!」と驚く内容が満載です。