前回に引き続き、リンダウ・ノーベル賞受賞者会議(Lindau Nobel Laureate Meeting)における若手研究者と受賞者の魂の一問一答。今回は若手研究者=筆者です。
とその前に、学会以前の筆者の心境を少し述べさせて下さい。
これまで筆者は基礎中の基礎化学を専門としてきました。何年も基礎化学研究を行っていく内に、研究成果のインパクトの大きさや重要性を認識することができました。しかし、一方で、科学者として社会に貢献するという視点からは、基礎化学研究は一番遠い所にあるのではないか、という疎外感を感じていました。もちろん、全ての応用科学の裏には基礎が存在する、ということを十分理解した上でです。
しかし目の前の成果がいくらNature、Science、Cell誌に取り上げられるようなものでも、その基礎研究成果が応用・実用に結びつくまでに要する時間は全く予想できません。もしかしたら何にも発展することなく消えていく研究かもしれません。実際、ハイレベルな論文雑誌に掲載された研究成果の内、一体何%が社会貢献に繋がっているのか想像もつきません。決して、無駄であるとは思わないし、このような研究の積み重ねの末、結果的に科学技術の飛躍や社会への還元に繋がることも理解しているのですが、狭い世界での自己満足で終わって欲しくないという気持ちを常々持っておりました。
この悶々とした気持ちに光を導くべく、筆者は直接受賞者にディスカッションを試みました。
Richard R. Ernst(1991年受賞)& Sir Harold W. Kroto (1996年受賞)
筆者 Q. 基礎化学研究を、どのように社会貢献に結びつければいいのか?
Ernst「基礎化学を行う上で重要なのは、常に10年後もしくはそれ以降の最終的な社会貢献達成を想像し続けること。その時までの科学者としての責任は、その時々の最先端の研究状況・成果を自分よりも若い世代にしっかり伝えることである」
明確な長期的ビジョンを持って研究を行うことが、基礎研究では特に重要だと感じました。まぁ実際、基礎研究でプロポーザルを書く際には、最終的な応用への展開まで視野に入れた計画性をアピールしますし。また、いずれ応用・実用・さらなる基礎化学の発展に結びつけるのなら、そのプロセスでこれまでの成果をしっかり伝え授けることが最終的な貢献に繋がる、というのはこれまで意識したことが無いごもっともな意見でした。
さぁ いよいよヒートアップしてきます
筆者 Q. 基礎化学研究者は、どのように社会貢献すべきなのか?
Kroto「基礎研究の成果は直接、応用・実用化の形で世間に現れる訳ではないが、将来的には10、100、1000とより多くの人の生活に貢献できる重要な研究である。確かに長期的な発展期間が必要だと思うが、成果が社会貢献に結びつくまでの期間は、科学じゃない部分で社会貢献してもいいではないか」
科学者として、科学で世界へ貢献すべきという偏った考えを大きく変えてくれるきっかけとなりました。職という枠に囚われ過ぎて、目的へのアプローチを見失っていたのかもしれません。ではその目的とは、即ち、科学とは・科学者とは・その責任とは何なのか、が即座に気になりました。
なんのひねりも思いつかない筆者は、単刀直入に尋ねました。
筆者 Q. (貴方にとって)科学とは何ですか?
Kroto 「科学とは世界を学ぶ手段であり、新しい知識を生み出す道具に過ぎない。それを用いて、教育を行う過程が一番重要なのだ。教育とは技術・知識を渡すだけではなく、想像力・創造性を加速させると同時に、思想や倫理観を広げ深めることができるものである」
つまり、科学は、外的な生活の便利さ・豊かさを生み出す一方で、人類の内面的な成長をも促すものであるべきだということです。人類の幸福に向かう過程において、外内両面の成長を要するということです。確かに、世の中便利になる一方で、モラルの欠如が目立つ現象も多々ありますね。人間として、学問の発展に伴う内側・内面的な成長。これは科学に限ったことではなく、全ての教科に当てはまる最終的な目的の一つだろうし、究極の社会貢献かもしれません。
さらにKrotoは続けます
Kroto「全ての人の生活には知識や技術を与え、教育してくれた『先生』の存在があったはずだ。我々自身も他人にとっては先生であるのだから、伝えたいことをきちんと伝えられる『教育』の意識を常に持ちながら科学と向き合い、(特に若い)人を成長させていって欲しい」
言葉になりません。よーーーく考えてみると、化学や数学、物理、芸術、音楽、哲学等は、人間が便利さのために勝手に分野として線引きを行ったもの。昔は、化学者で数学者で芸術家で哲学者でetc. なんて人は数多く存在し、彼らは分野の発展よりも、学問を用いて人間としての成長・人類の理想に近づくことを使命としていた気がします。いつから化学者(筆者)はただの化学者になってしまったのでしょう。。
そして最後の質問へ
筆者 Q. いい教育に必要なものとは何ですか?
Kroto「勿論、優れた『先生』の存在である。いい先生になるためには、幅広い知識や考え方と経験、そして影響力が必要である。だからノーベル賞受賞によって多くの人に認知してもらえるようになった私は、教育に関する事業に精力的なのだ」
優れた化学者は優れた教育者でもあるべき、という新しいテーマが見つかった気がします。授業を持つことが・学生の世話をするのが面倒だから大学勤務は嫌だ、という同業者を時折目にしますが、どうかその優れた研究力を若い世代に教授してあげて下さい。そして、その過程で人を育てて下さい。
どうやら、化学者は、化学者としてのプライドを持ちつつも、その線引きを超えたところに本質を見出すことが出来そうです。そしてまた一歩、化学が好きになった気がします。
化学者の役割や責任、皆さんはどうお考えでしょうか。