前回に続きまして「ノーベル化学賞がとれそうでとれないであろうでももしかしたらとれるかもしれない化学者」の紹介です。何もノーベル賞がすべてではありません。これから紹介するのは、確実に各分野の第一人者であり、時代を築いた化学者たちです。
【とれそうでとれないであろう、でももしかしたらとれるかもしれない化学者(順不同)】
Teruaki Mukaiyama, David A. Evans (合成反応開発)
アメリカでよく知られている日本人はイチロー、松井、ホットドックの大食いの小林さん(笑。しかしかなり有名。)など多数います。特に、有機化学を学んでいる人なら知らないともぐりと呼ばれるほどの日本人、それが東大名誉教授・現北里研究所室長の向山先生です。
若干26歳で学習院大学理学部化学科講師となり、有機合成化学における新手法、新規反応の開発、特に脱水縮合を中心に研究を行ってきました。最も有名なものは向山アルドール反応[1]。即ち、シリルエノラートをルイス酸条件下に、カルボニル化合物に付加させる反応を開発したことにより、自己縮合を抑えて交差アルドール反応のみを進行させることができる手法です。
そのほかにも多数の有用反応の開発、さらにはオリジナルな戦略で天然物タキソールの全合成を達成するなど、業績はあげるとキリがありません。
80歳を過ぎた今でも現役の研究者として研究を行っています。海外ならまだしも、日本だとそのようなバイタリティある人は、他の分野を含めてもほとんどいないでしょう。
同じくアルドール反応において、キラルなオキサザボロリジン(Evansの不斉補助基)を用いる不斉アルドール反応[2]を実現させたハーバード大・エバンス教授も、多くの有用合成反応を見出しています。また彼のもとからは優秀な研究員が多数輩出されており、アメリカの有機合成化学界ではそのほとんどが、コーリー(ノーベル化学賞受賞者)か、エバンスの派閥に属しているといっても過言ではないほどです。
もちろん両氏ともほぼ主要な賞はすでに受賞しており、あとはノーベル化学賞しか残っていない・・・というのは言い過ぎでしょうが、大御所の2人がノーベル化学賞を受賞するならばやはり「アルドール反応を代表とする多数の有用な合成反応の開発」でしょうか。
- Mukaiyama, T.; Narasaka, K.; Banno, K. Chem. Lett. 1973, 1011.; J. Am. Chem. Soc. 1974, 96, 7503.
- Evans, D. A. et al. J. Am. Chem. Soc. 1981, 103, 2127.
Steven V. Ley, Yoshito Kishi, K.C. Nicolaou, Samuel J. Danishefsky (天然物合成)
天然に存在する、生物学的に有用な化合物を人工合成する―それが天然物合成です。生物学的に有用な物質であるにも関わらず存在が極めて微量、もしくは構造が決まっていない化合物の供給には欠かせない研究です。
もしも研究過程で、元の天然物よりも活性の高い化合物を合成することができれば、医薬品開発における有用な知見となります。それだけではなく「合成化学的に面白い」もの=人工的に合成が困難な化合物を、知恵を絞って合成するというチャレンジングな分野でもあります。「そこに山があるから登る」とする登山家にたとえられる研究者でもありますが、現在では天然物合成に賛否両論があります。しかしながら、ここにあげる4人の天然物合成化学者はまぎれもなく一時代を築き、有機合成化学的にも、生物学的も多大な貢献を果たした人々です。
ケンブリッジ大のレイ教授は酸化反応のTPAP酸化の開発でも有名な化学者です。天然物合成化学者としてもオカダ酸やラパマイシン、最近では前人未到のアザジラクチンの全合成を20年以上かけて達成する[1]など多くの業績をあげています。またイギリス化学会長も歴任し、600報以上の論文を執筆し、今でも精力的に研究を行っています。
ハーバード大の岸義人教授は、1970年代より今でも合成困難な天然物フグ毒テトロドトキシンやサキシトキシン、パリトキシン[2]などの海産毒を効率的な手法で合成しました。日本人の現役全合成化学者の中では最も優れた化学者の一人です。
スクリプス研究所ニコラウ教授は世の中にある複雑な天然物をすべて合成してしまうような勢いで、現在も1か月に最低1つのペースで全合成を達成されています。タキソールの全合成[3]では他の研究者に先を越されたものの見事達成。ここに示す貝毒アザスピロ酸も、見ての通り複雑な天然物ですが、単離時に誤っていた構造を全合成によって訂正することで、真の構造を明らかにすることができました。
そして、コロンビア大学ダニシェフスキー教授はタキソール、エポチロン、カリチェアミシンなどの抗癌活性化合物などを、独自の方法論で全合成しています。
合成しただけではなにもはじまらない―これは確かに、21世紀の合成化学者に求められる問題だと思います。ただ、合成したその次の段階が求められるぐらいに化学を発達させた、これほどまで困難な化合物を合成し供給する方法論を開発した、という意味で、ノーベル化学賞に値するかもしれません。
- Veitch G.E; Beckmann E; Burke B.J.; Boyer, A.; Maslen, S.L.; Ley, S.V.; Angew. Chem. Int. Ed. 2007 DOI: 10.1002/anie.200703027
- Kishi, Y et al, J. Am. Chem. Soc. 1989, 111, 7530.
- Nature 1994, 367, 260.
Koji Nakanishi (構造生物有機化学)
コロンビア大学中西教授は、イチョウ葉に含まれる有効成分であるギンゴライドやメキシコ湾で多発する赤潮の原因であったブレベトキシンの構造決定などを含め、200以上の生物活性を有する天然物の単離・構造決定を行ってきました。
その手法はきわめて斬新で、1967年ギンゴライドの構造決定の際、初めてNOE(nuclear Overhauser effect)を利用、また励起子カイラリティ法(exciton coupled circular dichroic method)という、CDスペクトルを利用した天然物の絶対立体配置決定法を自身で開発し、天然物の構造決定に多くのインパクトを与えました。これらは1960年代に行われていたものであり、当時60MHzのNMRしかなかった時代では考えられないような先進的な結果です。
その後も構造決定だけでなく、生物有機化学の観点から多数の幅広い研究をなされています。「構造生物有機化学」を確立した第一人者として、ノーベル化学賞を受賞するかもしれません。
まだまだ続く、ノーベル化学賞をとれるかもしれない化学者!