私たちが快適かつ健康な生活を営むために必要なものは勿論沢山ありますが、医薬品はその中でも最重要なものです。既存品よりも活性の高いものを開発すべく、世界中で常に開発競争が続いています。
この医薬品の中に、「プロドラッグ」というものがあります。これはどういうものなのでしょうか???
それを説明する前に、薬が働くメカニズムおよび開発プロセスについてごく簡単に説明しておくことにします。( ちょっと前置きが長いですが、ご容赦下さい。)
“効く”化合物を見つけるには?
多くの医薬品は有機化合物が主成分であり、構造も複雑なものから単純なものまで様々です。世界中の研究者が薬の候補になる生物活性物質を探し求め、日夜研究を行っています。何でもよいから有望な化合物を見つけるところから薬の開発は始まります。
生物活性化合物は、主として体内に存在する特定の受容体・酵素などと結合し、その働きを阻害もしくは亢進させることで機能を発現させます(下図)。どの受容体・酵素に効くかがわかっているときには、上手い評価系を作れば活性評価ができるわけです。
薬の候補となる生物活性化合物(リード化合物)が見つかったら、次はこれを基本として、官能基・構造を様々に変えた化合物を多数合成します。どこをどう変えれば活性が高くなるかということは、最初はほとんど読めないので、膨大な数を作ってスクリーニングにかける必要があります。合成された化合物ごとに試験を行って活性を定量化し、特定の受容体・酵素・細胞に対してもっとも作用の強い最適化合物(たいていは受容体・酵素の特定サイトにもっともフィットする化合物)を見つけ出してきます(下図)。
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(構造最適化)
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最適化合物が見つかった!でも・・・
構造最適化が終わって、活性の高い化合物が見つかった!!とします。しかしこれを実際にヒトに用いるためには、超えなければならないハードルがあります。
もっとも気にしなければならないのは「副作用」、すなわち、期待する薬効以外の有害な作用が発現してしまう問題です。薬によって病気が治るのは結構なことですが、副作用があまりに強いと、病気以外の原因で苦しむという本末転倒も起こりえます。副作用は少ないに越したことはありません。
副作用は、標的として想定している受容体・酵素「以外のもの」にも薬が作用してしまう(off-targetといいます)ことによって起きるケースがほとんどです(下図)。
試験管やチップ上で行う活性試験では、データの因果関係を明確なものにすべく、特定の受容体・酵素・細胞だけが応答する理想系をたてて試験を行うことが一般的です。一方で、試験管よりずっと複雑多様な生体内投与では、関与する物質・受容体・酵素などの数は莫大なものになり、どこがどう作用してくるかはほとんど読めない状況になります。厳密に単一の標的だけに作用している化合物というのは、ほぼありません。このため程度の差はあれども、すべての医薬品に副作用は避けられないものになります。単純に試験管レベルでの活性試験(in vitro実験)では有望だったけれども、マウスなどへの生物投与実験(in vivo実験)や実際の人間を対象とした臨床前段階投与(治験)で毒性が強く出て開発中止・・・というケースは珍しくありません。
こういう不確定要素の影響を可能な限り排除すべく、特定のターゲットのみに効果を及ぼす標的特異性の高い薬を開発することが常に達成目標として掲げられます。 副作用の少ない医薬品を開発するためには欠かせない考え方です。
運良く副作用がほとんどなかった!としても、実用化段階では別の問題が浮上してくることもあります。たとえば、活性は高くて効用量は少ないにもかかわらず、生体吸収性が悪く薬効維持のために多量を用いざるを得なくなる、というケースが考えられます。そうすると想定していた使用量では無視できた別経路での副作用が顔を出してくることもあります。さらに、もし主成分が手に入りにくいものであれば、投与量の増加に伴い市販価格が高額になってしまいます。経済的理由から手が出なくなる患者が増えてしまうなど、投与量の多さはそれだけで問題の一つになるのです。
他には、よく効いて吸収性も良いけれども、生体内での分解(代謝)速度が極めて速く、活性成分の消失・排泄が速やかに起こる、というケースです。(薬物代謝については後で簡単に述べてみたいと思います。) このケースも想定よりずっと低い効果しか現れないため、投与量を増やさざるを得なくなります。
これらの問題などで、性能の良い化合物でも実用化面ではボツになったりすることもしばしばあります。とはいえ、実際in vitroで抜群の活性を示すものが見つかっているのですから、何とか工夫・改良して使えるものにしたい、と考えるのは自然です。先ほどはかなりさらっと書きましたが、薬物構造を最適化するのは人手・時間・費用がかかり実際にはかなり大変な作業なのです。できればやり直しはしたくありません。
どうすれば上記のような問題点をクリアして、医薬品として使用できるようになるのでしょうか?
このような場合には、薬としての構造は完成しているため、活性化合物の基本骨格には手を加えずに解決するというのが基本方針です。構造をほんのちょっと変えるだけで、活性が無くなったり副作用が強くなったりすることはザラにあるためです。
もっとも良くとられる解決法は、同一成分・用量で剤型・投与経路・方法を変えるというアプローチです。錠剤・座薬・点滴・散剤・カプセル・点眼・軟膏など様々な剤型があるのは、最適な形にすることで吸収性・持続性などの薬効発現をコントロールすることができるためなのです。
近年ではこの考え方を発展させた、薬効成分はそのままで特定の部位・ターゲットにだけ薬物を導入し作用発現させる技術、いわゆるドラッグデリバリーシステム(Drug Delivery System: DDS)の開発が重要視されています。うまく使えば既存の薬でも副作用を抑え投与量を減らすことができるため、さらなる有効活用ができるとされています。
プロドラッグとは?
上記のようなケースでは薬の基本構造はすでに固まっています。有機化合物の変換を専門とする有機化学者の出る幕は無いように見えます。 しかしそんなことはありません。
今回の主テーマでもある「プロドラッグ(prodrug)」は生体内の薬物代謝機構を活用した薬であり、有機化学からのアプローチが可能なDDSの一形態なのです。
人間の体は自らの健康を保つべく、様々な機能を駆使して外界からの異物を排除しようとします。細菌やウィルスなどは免疫という仕組みによって排除されることはよく知られています。他方、有機化合物の排除の仕組みも備わっています。それが薬物代謝→排泄というプロセスです。代謝過程では生体酵素によって薬物が排泄されやすい構造に変換されます。その後、尿などで排泄されます(消化の逆バージョンを想像して下さい)。 この代謝過程により、通常の薬物は、薬効のある構造から無い構造に変換されてしまいます。すなわち代謝を受けやすい薬ほど作用持続時間が短いことになります。
医薬品は人間の役に立つ、というのはあくまで人間的な視点であって、生体内に入った薬は原則として異物扱いされる、ということを覚えておいて下さい。
これに対し、プロドラッグは生体の代謝機構を逆手にとり、もとのままの形では薬作用を示さず、生体内で代謝されることで、初めて薬理活性を示すように化学修飾を施した薬なのです。もちろん代謝されて出来る副産物が副作用を示さないようにしなくてはいけませんし、既知の代謝・分解経路を参考に、プロドラッグに適した化学修飾をデザインすることができるのは、分子の性質を熟知している有機化学者なのです。
プロドラッグ化することで、上記の問題点の改善、すなわち吸収性の改善・特定部位への標的化(副作用の軽減)・作用の持続化などが期待できます。次の実例を見ていただくほうが多分飲み込みやすいと思います。
プロドラッグの実用化例
(1) テガフール (tegafur, Futraful®)
テガフールは肝シトクロムP450もしくは自然分解によって徐々に活性体である5-フルオロウラシル(5-fluorouracil; 5-FU)に変換されて効果を発揮します。加水分解されやすいアミナール構造に着目してください。
5-FUはチミジル酸合成酵素を不可逆的に阻害し、ピリミジン合成、ひいてはDNA合成を阻害させることで抗腫瘍(抗癌)活性を示しますが、テガフール自体にはその酵素阻害作用がありません。
(2) シンバスタチン (simvastatin, Lipovas®)
シンバスタチンは高脂血症に用いられる薬物です。コレステロール合成の主要臓器である肝臓に分布、加水分解を受け活性体(ラクトン開環体)へと変化し、これがHMG-CoA還元酵素を阻害することでコレステロール合成を抑えます。ラクトン開環体は脂溶性が低いために消化管からの吸収が悪い一方、ラクトン体のまま投与することで吸収性が改善されるとともに、肝臓でのみ薬理作用を及ぼせるというターゲッティングの効果もあります。
酵素加水分解は生体内ではごく普通の反応なので、エステル化・アミド化は脂溶性を向上させる目的でプロドラッグ修飾によく用いられます。
(3) サラゾスルファピリジン (salazosulfapyridine, Salazopyrin®)
潰瘍性大腸炎に用いられる薬物です。腸内細菌によりジアゾ基が還元され、活性成分であるアミノサリチル酸が抗炎症作用を示します。このため、患部である腸のみで働くというターゲッティングの効果を示します。
(4) アシクロビル (acyclovir, Zovirax®)
ヘルペスウィルスによる感染症に用いられる薬物です。ウィルス性チミジンキナーゼにより、活性型のアシクロビル三リン酸になります。これがウィルスDNAポリメラーゼの阻害物質として働き、抗ウィルス作用を示します。
ウィルスの存在しない正常細胞では、ほとんどリン酸化されないため選択毒性は良好で、安全性の高い薬です。
まとめ
必要な化合物を合成できることは勿論ですが、その上で分子の性質を熟知して合理的な変換・修飾を施し、さらに優れた物質の創成・改良を行えるのもまた有機合成化学という分野の魅力です。 プロドラッグとは知らずに合成し、あとからメカニズムが判明した薬物も実際は少なくないですが、意図的に化学修飾を施して薬をプロドラッグ化することは、有機合成的なセンス・アイデアが人類に貢献できる好例だと思います。今後ますますの発展を期待したいです。
(※本記事は以前公開されていたものを「つぶやき」に移行したものです。)