スウェーデン王立科学アカデミーは5日、2005年のノーベル化学賞をフランス人のイブ・ショバン仏石油研究所名誉研究員(74)、米国人のロバート・グラブス米カリフォルニア工科大教授(63)、リチャード・シュロック米マサチューセッツ工科大教授(60)の3氏に授与すると発表した。石油化学分野などに幅広く応用されている触媒反応の研究が評価された。(引用:日本経済新聞)
2005年ノーベル化学賞は” for the development of the metathesis method in organic synthesis”、すなわち、メタセシス反応を実用レベルにまで引き上げた化学者達に授与されました。中でもGrubbs教授はノーベル賞最有力候補として前評判も高く、取るべくして取った感があります。
今回は有機合成分野からの受賞ですが、合成効率を飛躍的に向上させたり、既存の方法では不可能であった変換を可能にするなどして、化学合成の考え方を革新してしまうほどの画期的な反応・方法論を開発していることが受賞を決定付けています。
本特集では“メタセシス”とは一体どんな反応なのかに始まり、受賞者たちはそれぞれどういう研究を行い、どこが画期的で、どのあたりがノーベル賞級の仕事なのか?ということをテーマとして解説したいと思います。
メタセシス反応とは??
メタセシス(Metathesis)という用語は、ギリシャ語のμετα = change, θεσιζ = position に由来し、「位置交換」を意味します。つまり、原子結合の組み替わりが起こる反応を意味し、一般式はスキーム1のように表されます。
スキーム1: メタセシス反応
反応剤がオレフィン(アルケン)の場合には、特にオレフィンメタセシス(Olefin Metathesis)とよばれます。スキーム2に示すように、二種のオレフィン結合の組み換えが起こり、新たなオレフィンが生成する反応です。反応自体は古くから知られていましたが(非触媒的には1931年の石油化学分野での報告が最初だとされています)、メタセシスという用語が使われ始めたのは1967年にCalderonが名付けてからです。メタセシス反応の中でも、オレフィンメタセシス反応の研究および高効率な触媒の創製がノーベル化学賞の主たる受賞理由となりました。
スキーム2: オレフィンメタセシス
オレフィンメタセシス:初期の研究~Chauvin機構
オレフィンメタセシス反応を利用した化学合成に関しては、1950~60年頃にポリマー分野で初期的報告が多くなされました。例えば、歪んだ環状オレフィンを有するノルボルネンがモリブデン触媒存在下に重合し、不飽和ポリマーを与える反応が1957年に既に報告されています(スキーム3)。現在では開環メタセシス重合(Ring-Opening Metathesis Polymerization: ROMP)として知られる反応になります。
スキーム3:One of ROMP Reported in 1957
また、 ほぼ同時期にプロペンがエチレンとブテンに不均化する反応も報告され、これは現在でいうところの交差メタセシス(Cross Metathesis: CM)になります(スキーム4)。
スキーム4: Disproportionation of propene (Cross Metathesis)
反応例の報告が続く一方で、これらの反応はどのような機構で進行しているのか、ということは1960年代後半まで全く明らかにされてきませんでした。 今でこそ上の二つの反応が同じ原理で進行していると分かっていますが、その結論にたどり着くまでには幾らかの時間を必要としたのです。
初期研究の過程で、様々な反応機構仮説が数人の研究者によって提唱されました。提唱された反応中間体構造の例を図1に示しますが、結局、後々の実験・研究から正しいと結論づけられたのが、ノーベル賞受賞者の一人であるYves Chauvinが提唱したメタロシクロブタン中間体を経由する反応機構でした。
図1:メタセシス反応における提唱中間体
この中間体を経る“Chauvin機構”をスキーム5に示します。系中で生じたメタルアルキリデン化学種(金属-炭素二重結合を持つ化学種)とオレフィンが反応してメタロシクロブタンを形成し、メタセシス反応が進行するとされています。
スキーム5: Chauvin Mechanism
この”Chauvin機構”の確立によって、触媒改良に役立ついくつかのアイデアが生まれました。後の発展に最も重要だったものは、メタルアルキリデン種が触媒前駆体として働きうる、というChauvin自らによる示唆でした。どういう錯体がメタセシス触媒として機能しうるか全く分からなかった時代背景を考えると、相当に進歩的なアイデアであったことは想像に難くありません。事実、現在までに知られているメタセシス触媒は、その全てがメタルアルキリデン錯体です。「メタセシス触媒を開発したければメタルアルキリデン触媒を開発すればよい」という開発方針は大成功を収めたと言えます。この先見的示唆が基盤としてあったからこそ、後のGrubbs・Schrockらの決定版触媒開発に繋がったわけです。
結論としてChauvinは、反応機構研究を基盤とした合理的な触媒開発指針を提唱し、それがメタセシス化学の発展に大きく寄与した妥当性の高いものであったという業績に高い評価が与えられ、ノーベル化学賞受賞に至ったといえます。
オレフィンメタセシス:画期的な触媒の開発
二重結合を切って直接つなぎかえるメタセシス反応は、他に類を見ない変換法であるため、他の化学反応では絶対に合成できない化合物を作れる可能性がありました。 しかしながら、良い触媒が無かった時代には、相当に激しい反応条件を必要としてもいました(初期の条件では、金属触媒存在下ですら500~700度の高温が必要)。
大学で有機化学を学ぶ学生ならば比較的すぐに習うことなのですが、二重結合や三重結合は単結合よりも強く切れにくいというのが教科書的常識です。つまり、そもそもが無理を承知の変換なので、制御がきわめて難しい反応の一つだったのです。 高いポテンシャルを秘めた反応ながら、精密有機合成に使おうなどとは、誰もが到底考えない状況でした。
ところが、1990年代に、同じくノーベル賞受賞者であるRobert.H.Grubbs、Richard.R.SchrockらによってにRu-/Mo-アルキリデン触媒(図3)が開発されて以来、事情は一変しました。これらの触媒は、様々な官能基を侵すことなく、穏和な条件下オレフィンメタセシスを進行させます。この触媒のおかげで精密有機合成・実用化に堪えうる条件でメタセシス反応が進行するようになったのです。
図3: Grubbs触媒およびSchrock触媒
これらの触媒およびメタセシス反応が精密合成化学へ与えたインパクトは破格であり、有機化合物の合成計画(逆合成解析)はこの十数年間でがらりと変わってしまいました。少々専門的な例を挙げますが、マクロライドなどの大環状化合物を合成する方法としては、山口法などのマクロラクトン化法が従来の定石でしたが、代わりに閉環メタセシス反応(Ring-Closing Metathesis: RCM)を用いることで全く違った経路で目的物にアクセス出来るようになりました(スキーム6)。また、数ヶ所の反応点でメタセシスを起こすというタンデム(ドミノ・カスケード)反応により、環状骨格を一挙に構築することも可能になりました(スキーム7)。
スキーム6:逆合成解析の多様化
スキーム7:タンデム反応による短工程骨格構築
これらの方法論は、医薬品など複雑な骨格をもつ化合物の合成方針にダイレクトに影響を与えました。「炭素-炭素二重結合が化合物骨格を構築する為の足がかりとして使える」という思想は、他の数多の反応からは演繹できない全く新しい考え方でした。既知の化学変換法のほとんどは単結合を切って組み替える反応なので、ここに従来技術からの決定的な発想の進歩があったのです。メタセシス触媒の開発は、精密合成化学におけるパラダイムシフトをもたらしたのです。
Grubbs・Schrockらのメタセシス触媒は精密有機合成のみならず、ポリマー合成にも大きなインパクトを与えました。官能基受容性が高いため、これまで合成することが困難であった多官能基性ポリマーも合成できるようになりました。また触媒のデザインにより、サイクリックポリマーという全く新しい種類のポリマー合成が開拓され、応用性・発展性の高い物質を作り出すことに成功しています(スキーム8)。
スキーム8: サイクリックポリマー合成
これら化学合成における画期的な変換は、Schrock・Grubbsらの開発した触媒無くしては実現しなかったことです。また彼らは同時に、錯体のX線結晶構造解析やメタセシス触媒の機構解析などの基礎研究により、実用面のみならず、学術的価値をも高めています。ノーベル化学賞に十分値する業績だといえます。
最後に
本特集では、主に2005年度ノーベル賞の受賞を決定づけた点・受賞者の業績とその価値に焦点を当てて話を進めてきました。広く使われるいち人名反応でしかないのでは、という批判もあるでしょうが、結合の切断・組み替え様式自体が全く新しく、他の数多の反応では到底為しえない革命をもたらした反応であることも事実です。
最後になりましたが、ノーベル賞を受賞され、化学の発展に寄与された方々に敬意を表し、この文を締めくくりたいと思います。おめでとうございました。
(※本記事は2005年に執筆したものを「つぶやき」へ移行したものです)
参考文献
・Historical perspective: New. J. Chem. 2005, 29, 42.
・“Classics in Total Synthesis II” Nicolaou, K. C. ed. Chapter 7.
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