tanukiのペンネームで有機化学現象に関する量子化学での研究結果をできるだけわかりやすい形で紹介させていただきます.ペンネームがタヌキだからいい加減なことを書いていると思わないでください.参考文献も記載します.
共役とか共鳴という考え方は有機化学で最も有用な概念の一つですね.その原因を考えたことはありますか?有機化学の教科書は原因までは書いていないし,有機化学者にとっては量子化学の本は,なにが書いてあるのかわからないというのがおおかたの意見だと思います.今回は,この問題をなるべくわかりやすく説明したいと思います.
共鳴・共役とは
あらためて説明する必要がないと思いますが,共鳴・共役は次の現象をいいます.
たとえば,ブタジエン(A)では,二重結合のπ電子の一部が一重結合に流れる現象です(B).有機化学の教科書では,p電子の移動によるC1〜C3の電子構造の状態が合わさった状態ができると説明しています.この説明は原子価結合法(Valence bond theory : VB)という量子化学の一方法の結果を借用したものですが,単純な疑問は[なぜそんなことが起こる必要があるのか]という必然性の問題です.量子化学のテキストにも,ただエネルギーが低下するためとだけあって,[なぜ下がるか]までは説明されていません.
アニリン分子では,孤立電子対がベンゼン環の方へ流れます(そのためアミノ基の塩基性の度合いは減少しています).電気陰性度の大きいN原子から小さいC原子の方へ移動するのです.有機化学の理論の明らかな矛盾ですね.もちろん有機学では共役構造による説明はありますが,ここではなぜ共役という現象が起こるかということを問題にしているので,それでは説明になりません.
結論を先にいいますと,共鳴・共役の原因は,ハイゼンベルクの不確定性関係という自然の最も基本的な関係式に起因するのです.これだけではおわかりにならないでしょうから,この結論に至る道筋を順序立てて説明します.
電子を狭い空間の中に閉じこめると電子はエネルギーを持つ
何じゃこれは?と思われるでしょうが,事実なのです.古典的(巨視的)に考えるととても不思議な現象です.我々の世界(巨視的世界)では物体を大きな箱に入れようが小さな箱に入れようがその物体の持つエネルギーは不変です.しかし,この当たり前なことが微視的世界では全く異なるのです.電子を狭い空間に閉じこめると電子は大きな運動エネルギーを持ちます.いいかえれば激しく運動すると言うことになります.逆に,電子の存在範囲に制限を加えられなければ電子の運動エネルギーは0なのです.電子は運動しない!のです.この不思議な現象は次の方法でわかります.
下図のような一辺がLの立方体の中に電子を閉じ込めたときの電子の行動は,1式の方程式(Schrödinger方程式)に従います.(この方程式の導き方は省略します.)この方程式で∇2はラプラシアンとよばれる演算子,mは電子の(静止)質量,hはプランクの定数とよばれる自然の基本定数です.Eは(運動)エネルギー,Ψは波動関数です.この方程式を解いて電子のエネルギー(E)と電子の振る舞いを表す波動関数(Ψ)を得るというわけです.この方程式は,大学教養程度の数学知識で解くことができます.箱(立方体)の中に閉じこめられた電子の運動エネルギーは下の(1)(2)であたえられます.
2式でVは箱の体積(L3)です.また,nx,ny,nzは量子数とよばれるもので,1式を解く過程で自然に導入される値で,それぞれ独立に1, 2, 3,・・という自然数を取ります.いまは,nx=ny=nz=1の場合だけを考えましょう.
箱の体積Vを小さくすると,Eは増大します.逆にVを大きくし無限大にしていくと電子の運動エネルギーEは0に近づきます.系はエネルギーをできるだけ減少させようとする傾向がありますので,電子は広がろうとする性質を持つといえます.ですから,π電子は一つの二重結合にとどまるより広がった方が系のエネルギーを下げることができます.また,アニリンの孤立電子対は窒素原子上にとどまるよりベンゼン環の中に入った方が系のエネルギーは低下するのです.実際に計算すると,1Å3の箱の中に電子を閉じ込めるためには104kJ/mol以上のエネルギーが必要になります.逆に言えば1Å3の箱に入っている電子は104kJ/molの運動エネルギーを持っているということになります.
Schrödinger方程式を解いたら,共鳴・共役は電子が広がろうとする性質に由来することがわかりました.しかし,方程式を解いたらそうなったでは完全な説明にはなりません.さらなる疑問は,なぜ電子は運動の範囲に制限が加えられると運動エネルギーをもつのでしょうか?
不確定性関係と電子の運動エネルギーについて
不確定性関係は次の式の関係式です.ここで,Δpは運動量の不確定さ,Δxは位置です。
の不確定さを表します.不確定性関係は不確定性原理とよばれることがありますが,正しくは[関係]です.
不確定性関係と電子の運動エネルギーの関係を定量的に考察してみよう.話を単純にするため1次元の座標について考えます.x標座上で長さLの範囲に閉じこめられた電子の運動量を測定する.Lの中のどこかに電子が存在ので,電子の位置の不確定さはLとなります(L=Δx).運動量(p: p=mv, mは電子の質量,vは運動速度)は方向性を有するため, 観測によって得られる運動量の平均(pバー )は0となります(右向きの運動と左向きの運動の確率が同じで,運動量はベクトル量なので平均を取ると互いに相殺されます.上に付ける横棒は平均値を示します).運動量の不確定さ(Δp)は運動量の平均値からのずれ = p-pバーです.
したがって,
となります.
不確定性関係 を用いると,
となります.したがって,観測される運動エネルギーの平均(Eバー )は,
となります.p2という余分な値が入ってきますが,2式と同じような式が得られました.(5)式では1次元を扱っているため,2式のV2/3がL2に代わっています.
(5)式をみますと,L→0のとき,Eバー→∞となります.Lを小さく,すなわち,電子の位置をより正確に確定させるほど(Lを小さくする,いいかえれば,電子の運動範囲を限定するほど)平均の電子の運動エネルギーが増大することを意味します.つまり,電子が狭い範囲にあるとき激しく動き回るという現象は量子論の基本的な関係式である不確定性関係に由来していたのです.それなら不確定性関係の正体は何なのでしょうか?そのまえに粒子と波について考えましょう.
電子の移動は波束の移動である
粒子とは質量を持った物体です.電子は質量を持ちますので,粒子です.巨視的に考えると,粒子が運動しているとき,ある時刻の速度を求めることは容易ですので,運動量は確定値として求めることができます.しかし、電子のような微視的な系になるとそれができないのです.
波を考えましょう.波は音波,水面を伝わる波,光,などいろいろなものがあります.共通することは,基準位置を中心に前後あるいは上下に何かが振動するということです(sine関数のグラフを思い出してください).この何かは水の波のように質量を持つ場合もあるし,光のように質量を持たないものもあります.しかし,この何かは波の媒体であって,波とは関係ありません.波を特徴づけるものは,振動の山と山の距離(波長:lで表します),振動には大きさ(振幅:,A),振動の伝播速度(u)です.そのほか,定位置で1秒間に振動する回数(振動数:n)も加えます.(波の特徴はA,l,uなどを用いて数学的関数(Ψ)で表し,波動関数とよびます.
このように,波とは抽象的なもので,具象的な粒子とは相容れないものです.それが,微視的な世界では[粒子は質量をもった波]という形で一体となっているのです.強調したいことは,物質は波なのです.
物質は波であることは実験で確かめられるので,否定できない事実なのです. 当然,粒子の存在しないところには粒子の波は存在しないと考えるのは自然です.粒子の波は粒子の存在位置付近に局所的に存在するのです.この局所的波を波束(wave packet)といいます.波の概念を用いると,粒子の移動は波束の移動であると解釈されます. ところで,純粋な波は,波長,速度,振幅によって定まるもので,これらは時間によって変化するものではありません.時刻が経過することによって減衰するような波は,純粋な波ではなくいくつかの種類の波が重なったものです.同様に波束はいろんな波長の波が合わさった波の束なのです.つまり波束は多くの波の重ね合わせからできており,Δxが小さくなるほど,波束の波動関数を現すには,それだけ数多くの波動関数が必要となるのです.フーリエ展開という手法で,10個のsine関数を用いて波束を作った例を下図に示します.
不確定性関係の正体
さて,いよいよ不確定性関係の存在理由の解明にはいります.
存在範囲が限られた電子の波束(Ψpacket)は多くの波動関数の重ね合わせによって表されることがわかりました.それぞれの波の波動関数をyiとし,波の強さ(振幅)は,
となるように統一されているものとします.これを規格化(normalize)されているといいます(波動関数が規格化されていないと話が複雑になりますので,一般に,特に断らない限り波動関数は規格化されているものという約束があります).そうすると,波束の波動関数 (Ψpacket)はyiとその寄与の割合を示すCiを用いて表すことができます.
(7)式で,y1, y2,・・はそれぞれ振動数n1, n2, ・・をまた運動量p1, p2, ・・を有する波の波動関数です.波動関数の2乗は電子の存在確率を表すものと解釈されています.(7)式のΨの2乗を計算します.
電子は空間のどこかに必ず存在しなければならないため, Ψ2dxの各位置(x)についての総和は1となります.積分記号を使って表すと,
となります.ところで, はi = jのときは1,i ≠ jのきは0です(これを規格直交しているといいます.すべての波動関数は規格直交しているとしても一般性は失われません)ので,
となります.Ci2は波yiの波束Ψに対する寄与の割合と解釈されます.そうすると,波束の平均運動量は,
となります.この式は,運動量はp1の値を取る確率がC12,p2を取る確率がC12・・であって,それら平均をとるとpバーになることを意味します.したがって,Δpはp1,p2,・・pnのうち最大のものpmaxと最小のものpminの差ということになります. 平均運動エネルギーは,u=lνおよびe=hνの関係をもちいて振動数νで表すと,
になります.電子の存在位置をより正確に確定するためには多くの種類の波が必要となり,運動量の平均値が大きくなります.また運動エネルギーの平均値も大きくなります.逆に,電子の位置を全く確定しなければ,そのような電子の波は単一の波長の波動関数で表されます.波長は一定であるため運動量や運動エネルギーも一定です.
これが不確定性関係の本質なのです.まとめると,粒子は波であるため,粒子の存在位置にはある幅がある.その幅を小さくしようとすると多くの種類の波長(同じことですが振動数)の波を取り入れる必要となり,このことはいろんな運動量を持つ波を取り入れることですので,粒子の取りうる運動量の可能性はそれだけ多くなる(つまり不確実になる).
まとめ
共鳴・共役はなぜ起こるか 、その理由は,電子は広がる性質があるためである.なぜ広がるかは,電子は運動範囲を狭められると大きな運動エネルギーをもつためである.大きな運動エネルギーをもつ理由はハイゼンベルグの不確定性関係という自然の基本法則による.不確定性関係が存在する理由は,物質は波であるからである.
なんだか,すっきりしたと感じませんか?
(2005.4.1 by tanuki)
※本記事は以前公開されていたものをブログに移行したものです
参考文献
P. A. Tipler, “Foundations of Modern Physics,” Worth Publishers, Inc., New York, 1976, Chap. 5.
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不確定性関係について
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