<A君の日常:とある一コマ>
「ゲホゲホ、風邪ひいた…病院行って薬もらわなきゃー」
…………病院からの帰り道……………「栄養とって休養しろ、か。まあいつも言われることだけど」
「いろいろ薬もらったなあ…これは解熱剤で…これは抗生物質かぁ」
「そういや抗生物質って菌を直接殺す薬だって聞いたことあるなぁ」
「人間には影響ないのかなあ。菌が死ぬんだったら人間には毒じゃないのかな?」
「あれ、そういや風邪ってウィルスが原因で起きるんじゃなかったっけ?」
「ウィルスと菌は違うって学校で習ったぞ。ウィルスにも抗生物質って効くのかな?」
「ウィルスに効かないんだったら、飲んでも風邪は治らないんじゃないかなぁ…」
…みなさんはA君と同じような疑問をもったことはありませんか?え、無い?うーんそうですか…ちなみに私はあるんです。
「薬」は誰もが日常的に触れる最も身近な化学製品です。それがある日突然に、「ものすごく危険だ!」となったらどうなるでしょう?とっても怖いですね・・・(狂牛病騒動なんかが好例では無いでしょうか)。
日頃飲んでいる抗生物質は医薬品の一種ですが、それは実際のところどのようなものなのでしょうか?このコラムでは「抗生物質」について、最新事情も含めて簡単に述べてみたいと思います。
抗生物質の歴史
抗生物質(antibiotics)とは、「微生物が産生する物質のうち、他の微生物の発育を阻害する化学物質」と定義されます。今日では化学修飾をほどこしたものも定義に含まれています。また最近では合成技術の発達により、抗菌力を持った化合物を人工合成することも可能になりました。これらは上の定義からはずれるため、抗菌剤と呼ばれることもあります。このコラムでは人工的なものも含めて抗生物質と呼ぶことにします。
世界で最初に抗生物質が発見されたのは1929年のことです。A.Flemingによって青カビから単離されたペニシリン(Penicillin)が最初です。この発見を契機として、さまざまな抗生物質が探索/合成されるに至りました。
抗生物質がもっとも威力を発揮したのは感染症に対してです。昔は現在ほど医学が発達しておらず、赤痢・結核・コレラなどに代表される感染症は脅威とされてきました。特に結核は日本においても猛威をふるっており、20世紀前半には死因の大多数を占めていたのです。
しかしながら1950年頃を境に、結核による死亡率は激減します。結核の特効薬・抗生物質ストレプトマイシン(Streptomycin)が開発されたためです。これによって、不治の病とされていた結核はそれほど怖い病気ではなくなりました。抗生物質が人類に多大に貢献した一例です。
その後もテトラサイクリン(tetracycline)などの優れた抗生物質が開発され、感染症で死亡する人は現代ではかなり少なくなっています。(代わりに死亡率上位に台頭してきたのが、ガン・成人病に代表される慢性疾患です。)
抗生物質の理念
抗生物質は医薬品の中でも、化学療法剤というものに分類されます。化学療法(chemotherapy)とは「化学物質を用いて病原となる寄生生物もしくは悪性腫瘍物を宿主の生体内で発育阻害・死滅させる治療法」です。抗ガン剤なども化学療法剤の一種となります。
化学療法を行う上で問題となってくるのは、用いる化学物質が人体に対しどれだけ影響を及ぼすかということ、すなわち副作用の強度です。このことを理解するためのキーワードが「選択毒性(selective toxicity)」です。これは化合物が宿主には毒作用を及ぼさず、寄生異物にだけ選択的に毒作用を及ぼす性質です。
例えば異物が細菌である場合を考えてみます。細菌細胞とヒト細胞ではメカニズム・構造に差があります。細菌の生存に必須の生化学機構は、必ずしも人間に備わってはいません。もちろん逆もまたしかり。
ということは、細菌だけに特有の生体構造/機構にダメージを与える物質を持ってくれば、人間には無害ながらも細菌だけを攻撃することができるのです。選択毒性が高い化学療法剤であるほど、副作用は少なくなるということです。人間にとってはこの上なく都合のいい性質といえます。
抗生物質は、選択毒性理念が基本になっているため、現在用いられているものは、かなり副作用の少ないものになっています。それぞれの詳しいメカニズムは後で述べますが、たとえばペニシリンの選択毒性はほぼ完璧だといわれています。
風邪の際に処方される抗生物質は、風邪ウィルスそのものには効果がありません。ウィルスと細菌では構造が全く異なるためです。この抗生物質は、風邪による免疫力の低下がもとで発生する感染症の予防目的で、処方されています。(余談ですが、風邪ウィルスに対する特効薬は未だ発見されておらず、見つけるとノーベル賞間違いなし、とまで言われています。)
抗生物質の分類
抗生物質は大きく分けて、殺菌剤と静菌剤に大別されます。前者は菌を直接死滅させる物質ですが、後者は菌の発育を抑制する物質で、薬が無くなると菌は再度増殖を始めてしまうところが前者と異なります。その他、基本骨格や作用機序などに基づき以下のような分類がなされています。
作用機序 | 抗生物質の種類 |
---|---|
細胞壁合成阻害 | βラクタム系、グリコペプチド系 etc |
細胞膜機能阻害 | ポリエン系、ペプチド系 etc |
核酸合成阻害 | ピリドンカルボン酸系 etc |
タンパク質合成阻害 | テトラサイクリン系、アミノグリコシド系、マクロライド系 etc |
葉酸合成阻害 | サルファ剤 etc |
代表的な抗生物質
それでは、実際に用いられている抗生物質にはどんなものがあるのでしょうか?相当数が過去に開発されてきていますが、以下では比較的良く知られたものを解説することにします。
■ ペニシリン (Penicillin)
A.Flemingによって青カビの一種Penicillium属から単離された抗生物質です。この化合物は特徴的なβラクタム環と呼ばれる4員環構造を持ちます。この構造を持つ抗生物質はβラクタム系抗生物質と呼ばれ、強い抗生作用をもちます。βラクタム系は現在の抗生物質の主流をなしています。
ペニシリンのβラクタムを含むL-Cys-D-Valの立体構造は、細菌細胞壁の架橋目的で生合成されるD-Ala-D-Alaの立体構造に酷似しています(下図)。このため、細菌内に存在するトランスペプチターゼがペニシリンとD-Ala-D-Ala構造を誤認識し、細胞壁の架橋が行われなくなります。 これにより菌の細胞壁が脆弱化し、浸透圧に耐えられなくなった菌は溶菌を起こし死滅します。ヒト細胞には細胞壁構造が存在しないため、ペニシリンは全く効果を発揮しません。この意味で選択毒性はかなり完璧であると言えます。
また、βラクタムは高度にひずんだ環骨格であり、有機合成的観点からも興味深い構造であることから、さまざまな合成方法が探索・研究されるに至っています。J. C. Sheehanらは縮合剤DCCを用いる手法で、低収率ながらβラクタム環の合成に成功し、ペニシリンVの全合成を達成しています。
ペニシリンは副作用が極めて少なく非常に有用な薬物ですが、しばしばペニシリン・ショックと呼ばれる急性アレルギー反応を引き起こすことがあります。ペニシリン代謝物が生体内タンパクと結合してアレルゲンとなり、発症すると考えられています。
■ セファロスポリン (Cephalosporin)
糸状菌のCephalosporium acremoniumから初めてセファロスポリンCが単離されました。βラクタム系に属し、作用機序はペニシリンとほぼ同様に、細胞壁合成阻害によって抗生作用を示します。アレルギー反応を起こしやすい点もペニシリンと似ています。ペニシリンが効かない菌(ペニシリン耐性菌)にも有効なのが特徴です。
その構造類似性に着目し、ペニシリンを原料とした合成経路もいくつか報告されています。以下はその一例で、Pummerer反応類似の環拡大反応がキープロセスとなっています。
■ ストレプトマイシン (Streptomycin)
S. A. Waksman らによって単離された、放線菌の一種Streptomyces griseusの産生する抗生物質です。アミノグリコシド系に分類されます。
アミノグリコシド系抗生物質は一般に、細菌の30Sリボソームに結合し、タンパク質の合成を阻害することによって抗生作用を示します。ヒトリボソームは細菌のそれとは異なる構造をしているため、細菌だけに選択毒性を示します。特に結核(tuberculosis)の治療に良く用いられる、抗生物質のマイルストーンと呼べる存在です。
若干副作用が強く、聴神経障害や腎障害、過敏症などを引き起こすこともあります。
■ テトラサイクリン (Tetracycline)
Streptomyces aureofaciensの産生するクロルテトラサイクリンを元として、同類抗生物質の開発が進められた結果、開発されたものです。骨格にテトラサイクリン系特有の4つの環を持つのが特徴的です。
リボソームに結合し、タンパク質合成を阻害することで静菌的抗生作用を発揮します。効果のある菌の種類が多い(抗菌スペクトルが広い)のも特徴です。しかしながら、近年では耐性菌の増加が問題となっています。
■ エリスロマイシン (Erythromycin)
Streptomyces erythreusの産生する抗生物質。大環状ラクトンに糖が結合した構造をしており、マクロライド系と総称される群に分類されています。
主としてグラム陽性菌に有効ですが、ペニシリンやセファロスポリンでは効果のないマイコプラズマにも有効であるため、マイコプラズマ肺炎の薬として使用されます。 この物質もタンパク質の合成を阻害することで抗生作用を示します。
この薬で注意しなければならないのは薬物相互作用の問題です。エリスロマイシンは代謝酵素であるシトクロムp450(CYP3A4)を阻害するため、p450で代謝される薬物(たとえば睡眠薬のハルシオンなど)を併用すると、作用が予想よりも強く出てしまうことがあります。副作用が強い薬物と併用する場合、生命に関わることにもなりかねないので、注意して使用する必要があります。
■ バンコマイシン (Vancomycin)
グリコペプチド系抗生物質に分類されます。MRSA(後述)など他の抗生物質が効かない菌にも効果があるため、究極の抗生物質とも言われています。
バンコマイシンは細胞壁合成前駆体であるD-Ala-D-Ala構造と強く結合し、細胞壁の合成を阻害します。(後述の図参照)
■ シプロフロキサシン (Ciprofloxacin)
化合物名にはなじみのない方が多いと思われますが、「シプロ」という商品名なら聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。正式には「シプロキサン」といい、バイエル社が炭疽菌の薬として売り出し、一時期爆発的に売れた薬です。ニューキノロン系に分類されます。
DNAジャイレースという酵素を標的としてDNA合成を阻害し、さまざまな菌に効果を及ぼします。比較的新しい薬物です。
薬剤耐性菌
抗生物質絡みでよく話題にあげられるのが薬剤耐性菌の増加問題です。昔と違い、抗生物質が効かない菌が増えてきたのです。たとえばPenicillin耐性菌はpenicillinase(β-lactamase)という酵素の産生遺伝子を突然変異により獲得しています。これにより菌がβラクタム環を分解できるようになってPenicillinが失活してしまい、効果を発揮できません。
そもそもなぜ菌は抗生物質を産生するのでしょうか?Louis Pasteurの行った実験で、2種の異なる微生物を同じ培地で培養すると、一方の菌が他方の菌の産生する物質によって発育が阻止される、という現象(抗生現象)が発見されました。光合成機能を持たない菌は、培地から栄養を摂取して増殖するのですが、そこに他の菌が介入してくると当然自分の栄養が減ります。栄養分を奪い合う結果になるのです。ここで菌は抗生物質を使用し、他の菌を排除して自分の領地を確保しようとするのです。つまり抗生物質は、微生物が自分の身を保つ為に、進化の仮定で獲得した産物だと言えます。
ここで他の菌と抗生物質を置き換えて考えてみましょう。抗生物質は菌に対して抑制的に働きます。菌は自分に害を及ぼすものを克服すべく変異・進化します。つまり抗生物質を沢山使うと、それに対して抵抗性を持つように、菌は進化してゆくのです。菌のように単純な生物だと進化のスピードも速く、かなりすさまじい勢いで耐性が獲得されてゆきます。
VREの問題点
薬剤耐性菌問題を考えるキーワードとなるのが、メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)です。MRSAはメチシリンをはじめとする多くの抗生物質に対して耐性を持ち、院内感染菌として知られています。この菌に有効な抗生物質はバンコマイシンだけだ、と言われてきました。
しかし後に、このバンコマイシンの効かないバンコマイシン耐性腸球菌(VRE)が発見されました。VREは上述のバンコマイシンの作用機序に対して抵抗性を持っています。すなわち、細胞壁合成の前駆体D-Ala-D-Alaのかわりに、D-Ala-D-乳酸を用いるように変異しているのです。このため、バンコマイシンの前駆体との親和性が低くなり、VREは細胞壁合成プロセス阻害に対して耐性を獲得できたのです(下図)。
黄色ブドウ球菌と違い、腸球菌は人間に害を及ぼすことはありません。VRE以外にバンコマイシンの効かない菌はほとんど発見されて無いので、とりあえずは大丈夫なように思えます。しかし、ことはそんなに簡単ではありません。
細菌の耐性獲得プロセスは2通り考えられています。すなわち、
①薬の使用によって大多数の菌は死ぬが、わずかに存在する自然耐性菌が生き残り増殖する
②新しく耐性遺伝子を獲得することによって耐性化する
というパタンです。①は通常の自然淘汰と同頻度で起きると考えられますが、問題となるのは②のプロセスです。
②のプロセスは耐性遺伝子がプラスミドDNAなどを介して、菌から菌へ伝達されることによって起こりえるとことが分かってきたのです。バンコマイシン耐性遺伝子をもつ腸球菌から、耐性を持たない黄色ブドウ球菌に遺伝子の伝達が起これば、バンコマイシン耐性な黄色ブドウ球菌ができあがるわけです。つまり特効薬のない菌になるわけで、一度感染してしまうと重大です。また、遺伝子伝達先は黄色ブドウ球菌に限らず、もっと危険な菌でも良いわけです。この事実がいかに恐ろしいことかは想像に難くありません。
次世代の抗生物質たち
このように、耐性菌の脅威を克服するための抗生物質開発は、今でも継続的に行われています。以下に示すものは、最近開発・報告された次世代の抗生物質です。
■ リネゾリド (Linezolid)
対VRE抗生物質としてファルマシア社から発売されたリネゾリド(商品名ザイボックス)は、日本では2001年6月に発売開始となった新しい抗生物質です。完全化学合成で作られた薬物で、今までの抗生物質とは、構造・作用機序が大きく異なっています。現在の所VREに効くとされる薬はこれしかなく、まさに“対VRE最終兵器”と目されています。しかしながら既に耐性獲得菌の発生が確認されており、リネゾリド耐性菌が無闇に増殖しないよう、適切な利用が求められています。(注意:リネゾリドはFが入っていますが、画像の構造はFが抜け落ちています。後ほど訂正したします)
■ プラテンシマイシン (Platensimycin)
メルク社の研究グループが25万個以上の天然物をスクリーニングした結果、2006年に発見された新しい抗生物質の一つです。細菌の脂肪酸合成経路を阻害することで抗生作用を示します。この作用機序は既存のものとは全く異なり、耐性菌が非常に出現しにくい、と考えられています。
■ ベダキリン(Bedaquiline)
先述した結核は、近年感染者数が増加傾向にあるというデータが報告されています。このこともやはり耐性菌が一つの原因とされています。再び結核が蔓延し始めると恐ろしい事態を引き起こす事は、過去の歴史からも容易に想像できます。しかしながらストレプトマイシン以来、有効な抗結核薬の開発はほぼ行われてきておらず、現代になって新規抗結核薬の重要性が再認識され始めています。
ベダキリンはR207910の開発番号を持つ、ジョンソン&ジョンソン社が2004年に開発した強力な抗結核薬です。 結核菌のATP合成を阻害するという類のないメカニズムで抗結核作用を示します。既存のリファンピシンやイソニアジドよりも活性が高く、それらとの併用も可能であるとされ、現在臨床試験に向け研究が進められています。
まとめ
抗生物質の開発と耐性獲得は、いたちごっこのようなもので、いつまでもきりがありません。最近は菌の耐性獲得スピードの方が上回りつつあります。開発してもすぐ耐性菌ができて使えなくなる、という現象が実際に起きつつあります。とはいえ開発の努力を怠ったが最後、どうなるかは察するに難しくないでしょう。
このジレンマが解消される日はまだ遠そうです。
(2002.5.12 by cosine、2015.2.21 加筆修正)
(※本記事は以前公開されていたものを加筆修正し、「つぶやき」に移行したものです)