技術者ならば誰もが向き合うことになる「特許」。一度その概要を見てみることに致しましょう。
Tshozoです。窓際も日当たりが良くていいもんですね。
さて、特許です。一昔前は(年齢がバレるので年代は非開示)大学と産業界との共同研究はあんまり活発ではなかったのは皆様ご存知でしょうか。
分野によっては、もし実施すると大学内の関係者から「お前は俗物だ!」と言われた、という噂が立つ程度に忌避されていたもようです。
時代は変わって現代。大学も採算性を考慮せねばならず、むしろ産学連携は推奨され、企業との共同研究の多さと集金力が先生方のパワーとも言える時代になりました。筆者の好きな名言に「Wer den Daumen auf dem Beutel hat, hat die Macht.」(「財布の紐を握っている者が、権力を握っている」(“Blut und Eisen” Bismark))というのがありますが非常に普遍性のある言葉の気がします。
Bismark晩年の写真
艦こ〇でこのカードが入ってたらあなたならどうしますか? 筆者は歓喜しますが。
もちろん大学の研究室の主要な使命は良質な論文を産出することでありますが、時代の流れとして産業との繋がり、社会とのつながりを無視することは出来ない。どっちかと言うと筆者は、湯川秀樹博士が昔言われた「どこからも孤立した研究、そうした研究の方が予想以上に高い応用性を産み出す場合もある」という考えの方が内実も中身も楽しいものが出てくる気がしますが・・・今の日本ではとても許されないでしょう。
てなわけで産学連携、つまり「共同研究」というところに引っ付いてくるやっかいな議論すべき事項は、『研究成果の取り分』です。
そもそもが成果とは「取らぬ狸の皮算用、千三つ、お釈迦様の手の平」であり狙って出るものではありません。ですが、それでも『成果が出たらどうするか』という枠組みを作っておくことは誰が言うまでもなく重要なことです。その中で、特許について知っておくのは若い皆様のためにもなるんではないかと思いこのテーマを取り上げました。
最近では各大学にきちんと産官学連携室というような窓口があり、その取り分の原則を設けているところが多いため、あんまり先生方・学生さん方が立ち入る領域ではないかもしれません。が、議論に巻き込まれる場合があるでしょうし、あとで説明しますが「明細書」の査読をする場合も有り得るんではないかと思います。そのため、最低限のキーワードくらいは知っておいてよいのではないかと思い、筆を進めます。針の先ほどにも参考になれば幸いです。
【共同研究の中の特許の位置づけ】
まず、共同研究の成果について。大学、特に化学・材料科学のような研究室と企業が共同研究を行った場合、出てくる成果としては下記のようなものが挙げられます。
①論文
②知的財産(権)
③研究中に実際に作ったサンプル
④ノウハウ
①は皆様大学側の研究者が描かれますし、③は現物の最終的な帰属さえ決めておけばいい話。④ノウハウも打合せの中で共有する、というきまりにしておけばまぁ大丈夫でしょう(そこから②が発生する可能性もありますが)。もちろんお互いに一番イイのは、①論文も出せて、②工業的にも目途が立って商売になり④ノウハウも共有できるケースですね。
しかしその場合、議論すべき案件が出てきます。特に①②で、①は出すタイミング、そして②は権利関係(知財権にも色々あるのですが、今回の場合は「特許」に限定します)。企業側の言いぶんとしては「俺らが出した金で成果を出したんだから俺らに独占的に使わせろ(ちなみにこれを専用実施権といいます)」でしょう。しかし大学側もおカネを稼がにゃなりませんので一企業だけじゃなく、広く使ってもらった方がいい。先生方にしてみても、広く使ってもらった方が世のためになるなら大学側の言いぶんの方に立つ場合が多い。そうして交渉事になるわけです。
・・・という実際的な話は置いといて、そもそも特許とはなんぞや。以下はそのざっくりイメージを書かせて頂きます(基本的に日本の特許制度に基づいています・各国で少しずつ違いがあり今それを統一しようとする動きもあるようですが詳細は割愛します)。
【特許とは】
まず定義から。特許とは「発明(物質 及び 方法の発明)の発明者に対し与えられる、法律で決められた独占的な権利」です。
これを間違いを少々含む例えで表すと、「土地の所有権」と同じようなもんです。要は「『発明』という概念上の土地群があったとき、『その発明は俺のものだ!』と言い張れることに法律が(つまり国家が)お墨付きを与えた権利」です。
藤子・F・不二雄氏による土地所有権についてのSF短編「3万3千平米」が載っている
藤子・F・不二雄大全集 SF・異色短編 2 Amazon.co.jpより引用 → ●
そもそも太古の昔から考えると、土地というものは誰のものでもなかったわけです。それに「権利」という矢印が刺さり「俺のもんだ」と言えるようになったのは、ひとえに国家という団体がその矢印(所有権)を保証したから。特許も同じで、発明も主張している人間が本当に考えたものなのかよくわかりゃしない。それを「これこれこういう理由で俺のもんだ」と言えるようにしたのが、特許(法)なのです。実物の土地から「発明」という広大な概念上の土地に移り変わっただけなのですね。
しかしこの概念上の土地、認め方が難しい。実物の土地なら検地して区画を決めて「こっからここまで物理的にあんたのものね」、と決めりゃいい。
「検地」の例 『絵画史料を読む日本史の授業』(国土社,1993)より引用
ところが概念上の土地、つまり発明は物理的には測れない。いったい何を要件に「これは俺の発明だ」と言い張れるのか。範囲はどっからどこまでなのか。これは非常に難しい問題で歴史を紐解くと各国色々変遷があったようですが、とにかくその範囲を決める根拠を現在の特許法(特に特許法第29条)に基づいて調べると、「発明」と認められるためには重要な2点の性質を備えていなければならないことになっています。
A. 新規性 B. 進歩性
・・・うーん、何かよくわからんですね。わかんないなりに経験に基づき噛み砕いてみると、下記のことのようです。
A. 新規性・・・「公知のものでないこと」
? B. 進歩性・・・「容易に考え付かないものであること」
つまり、新しくて他の人間が簡単に思いつかない発明だったらいいんだな。じゃあ誰でも書けるな。 そうなのです、誰でも書けます。そして、誰でも特許化(権利化)できます。弁理士さんにおカネを払ってきちんと書式に従って書けば。登録するためのおカネを払えば。そして、維持するためのおカネを払えば。15年間くらい毎年、1件当たり結構な額面のおカネを払えば(わかりやすい価格試算の例はこちら → ● )。
ちょっと脱線しますが、そうやって適当な特許を出したとしましょう。5年経ち、10年経ち、いくら待っても誰もその特許を欲しがってくれませんでした。止む無く提案者は取り下げることになりました。・・・結局これも実物の土地と一緒で、望まれない特許は売れません。ニーズが無いからです。沿線沿いの便利な場所の土地の価格が吊り上り、郊外の辺鄙な場所の土地の価格が低いように、重要な(=それを使わないと商売が出来ない)特許でない限り、現世の価格は決して引き上がらないわけです。なお、特許は土地の所有権と同じように「権利」ですので、モノのように売ったり買ったりできます。企業どうしで交換したり(クロスライセンス)、要らんなら捨てたり(消滅)することも出来るので、いったん特許になったものは「モノ」と捉えると理解しやすいかもしれません。
話を戻して。新規性、進歩性について一体どういうことなのかも未だ書けてませんし、この重要な、というのはどういうことに基づくのかについても未記述ですので、次回はそのあたりをもう少し掘り下げていきましょう。 もう少しお付き合いください。
【参考文献】
- 特許庁殿HP 特に知財権について → ●
- 特許庁殿HP 歴史関連 → ●
- 一般財団法人 知的財産研究所殿 19世紀末の日本の知財権構築に尽力した高橋是清の貴重な講演録 → ●
- 経産省殿HP 発明・工夫と特許のくに → ●
- 磯兼特許事務所殿 筆者がことあるごとに必ず見返すHP → ● ●
関連書籍
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