今までいつか時間がとれたときに書いていこうと思っていたことがあった。こんな情報あったらよいなと思っていた。いや、これは知っておかねばならないと思っていた。
それは化学者の系譜である。特に筆者の場合有機化学を専門としているので、どうしても有機化学の歴史について紹介したいところがあった。実際、良いか悪いかの議論は他に委ねるが、Wikipediaやこのコンテンツ世界の化学者データベースなどのインターネットコンテンツで化学者一人一人を調べることは非常に容易な時代となった。しかし、それぞれの”化学者のつながり”、すなわち化学者系譜(系図)についてはなかなか調べることは困難である。
今後事あるごとに個々の化学者をつなげ、そして語っていきたいと思っている。
というわけで第一弾として、日本の有機化学、特に天然物化学の祖、真島利行先生(上図)から始まる系譜を紹介したいと思います。とはいっても真島先生個人の紹介はまだデータベースにつくっておりません。随時作成していきます。
さて、真島先生は前述したように、漆とはなんぞや?というところからはじまり、その成分ウルシオールの化学構造を明らかにするなど天然物化学の基礎を築きました。さらには、日本の有機化学のレベルの底上げ、系譜がかける位の多くの化学者を育てたというまさに有機化学の祖として非常に著名な先生です。その系譜の始まりは真島先生が研究を始めた東北帝国大学理科大学(東北大学)から始まりました。すなわち東北大化学から始まった有機化学の歴史です。
真島利行系譜
– 野村博(東北大)————— 向井利夫・官仕勉
— 杉野目晴貞(北大)———— 松本毅・正宗直・大野雅二
— 小竹無二雄(阪大)———— 中川正澄・中崎昌雄・芝哲夫
———— 湯川泰秀・目武雄
————- 妹尾四郎・三輪外史郎
———— 三角荘一・松浦輝男 —– 小倉克之
—– 川井正雄
— 川合真一(東教大)———— 杉山登
— 星野敏雄(東工大)———– 岩倉義雄
———– 向山光昭 ——— 桑嶋功
——— 奈良坂紘一
——– 西郷和彦
真島利行 ——– 鈴木啓介
— 藤瀬新一郎(東北大)——— 宇田尚
— 赤堀四郎(阪大)—————- 松島祥夫・萩原信衛・大塚斎之助
・野桜俊一
—— 高橋成年
(from Hagiwara)
—————- 池中徳治・木村徳治・花房秀三郎
・崎山文夫
— 村上増雄(阪大)————- 守屋一郎 ——— 村橋俊一
——— 山本義則
————- 大饗茂 ———– 古川尚道
———– 安藤亘 ———- 関口章
— 野副鉄男(東北大)———— 北原喜男
———— 伊藤椒 ———– 平間正博
———— 村田一郎
———— 吉越昭 ———– 宮下正昭
———— 正宗悟
———— 小田雅司
— 村橋俊介(阪大)———— 西村信也
— 金子武夫(阪大) ———— 花房昭静・原田馨・楠本正一
— 久保田尚志(阪市大) ———– 野老山喬・西長明・中島路可
(参考:松浦輝男教授退官記念誌)
真島利行は東北大学から始まり、東工大(兼任)、北大、理研、大阪大と約20年の間で、なんと5つの大学、研究機関での有機化学分野の創設に携わっています。その間、野村博、杉野目晴貞、小竹無二雄、川上真一、星野敏雄、藤瀬新一郎、赤堀四郎、村上増雄、野副鉄男、村橋俊介、金子武夫、久保田尚志のという11人の当時の次世代を担う若手研究者を育てました。 この化学者達はそれぞれ真島の意思を継ぎ、それぞれの大学で有機化学を主とした様々な分野の研究を行い、多くの門下生を育て上げました。
日本の有機化学を創った真島の弟子達
生薑の辛味成分の研究を行った日本学士院賞受賞者(昭和8年)である野村博(東北大)は、環状ポリエン類と関連複素環の光および熱反応の研究行い向井利夫(東北大)を輩出しました。
杉野目晴貞(北大附属図書館)
杉野目晴貞(北大)は北海道帝国大学理学部(現北海道大学)創設の際の初代教授となり、後に北海道大学学長を務めています。すなわち、有機化学、理学部に限らず現在の北海道大学の基礎を築いたわけです。ちなみに北大名誉教授の杉野目浩氏は子、京都大学工学研究科の杉野目道紀教授は孫にあたます。杉野目の弟子には後に鈴木-宮浦カップリングの開発者である鈴木章名誉教授の師である松本 毅(北大)[1]や、天然物有機化学を北大で広めた正宗直、後に東大薬学部に移り、生物活性天然物の分子設計とその活性機構への有機合成的展開(日本化学会賞受賞)した大野雅二[2]などを育てました。
小竹 無二雄(阪大)は理研で真島の下でインドールその他の合成研究を行った後に、1932年に真島と共に阪大に移り、真島(第一)、小竹(第二)として研究室を運営し、ガマ毒の構造決定や合成研究を続けました。彼の元よりからも多くの優秀な弟子が輩出されています。小竹の元には『常に “何か新しいこと”(Etwas Neues)に挑戦しろ』を合言葉して、中川正澄(日本の非ベンゼン系芳香族化合物合成の先駆者)、分子美学の提唱者中崎昌雄、ペプチド合成の権威で研究者としてだけでなく日本化学史研究でも有名な芝哲夫[3]、加えて湯川泰秀、目武雄などが育ちました。
芝哲夫(大阪文化賞HP)
なお、余談になりますが、月刊誌『化学』を出版している化学同人は小竹を中心にしてビニロンの開発者桜田一郎、後に記す久保田尚志らと共に設立された集まりでした。また、サントリーの2代目佐治敬三も小竹研出身です。
川合真一(東教大)は東北大卒業後、東京教育大学にてエゴノキの種油にふくまれるエゴノールの構造決定を行いました。
星野敏雄(東工大)は真島研から、1929年に真島の下、助教授となり、東工大有機化学、日本の工業化学の基礎を築きました。真島門下でも野副鉄男に並び多くの化学者を輩出したことでも、知られています。最も著名な弟子に現在も高齢ながらいまだ活躍中である、向山アルドール反応の開発者向山光昭がいます。向山は現在向山一派と呼ばれる有機化学分野で多くの人材を輩出し、東の向山、西の野崎(野崎一京都大学名誉教授)と呼ばれていました。そのアイデンティティは実は真島につながっていたということになります。
星野敏雄 (理化学研究所)
日本化学便覧の作成を行った真島は、弟子の藤瀬新一郎(東北大)に続きをまかせました。藤瀬は久保田尚志らと共にフラバノン、マトイシノールが光学活性体であることを見出すなどの業績をあげ、中西香爾教授(当時東北大)の助手となり、中西の後を継いだ宇田尚(東北大)が弟子にいます。
タンパク質と酵素の研究の世界的権威である赤堀四郎(阪大)は大阪に移った真島研の助教授とてタカジアスターゼの成分の酵素タカアミラーゼの結晶化と、構造決定を30年にわたり行いました。その経過でタンパク質新規分解法であるヒドラジン分解法を開発しました。また、ペプチド合成やタンパク質の合成、構造決定なども積極的に行い、大阪大学蛋白質研究所の設立、大阪大学学長も兼務しました。その過程で、松島祥夫(第29回日本化学会賞受賞者)、萩原信衛(錯体触媒を用いる有機合成化学)、大塚斎之助(金属タンパク質の化学)、野桜俊一(ビニル重合体の構造と反応に関する研究)を輩出しました。さらに池中徳治(文化勲章受賞者)、木村徳治・花房秀三郎(文化勲章受賞者、米国ロックフェラー大学名誉教授)、崎山文夫(大阪大学名誉教授)が弟子として日本のペプチド、タンパク質研究を発展させました。
赤堀四郎
村上 増雄(阪大)は真島の設立した大阪帝国大学産業科学研究所(現大阪大学 産業科学研究所)の5代目所長となり、大阪大学基礎工学部創立者の一人である守谷一郎(阪大)を育てました。守谷の弟子には、守谷の後を継いだ、村橋俊一(阪大)、山本義則(東北大)など遷移金属を用いた触媒化学の分野で活躍をした2人を筆頭に多数存在します。また、 有機硫黄化学の権威であった大饗茂(筑波大)も村上研出身で、後に有機ヘテロ原子化学の中心となった筑波大化学系の古川尚道、安藤亘などを育てました。その後、ケイ素-ケイ素三重結合化合物”ジシリン”など有機ケイ素化学、典型元素化学の研究で現在も活躍中の関口章(筑波大)につながっていくわけです。
真島の弟子の中でも野副鉄男(東北大)は前述したように多くの弟子を輩出しました。自身はヒノキの香に含まれるヒノキチオールの主骨格であるトロポロンの化学を中心に、天然物化学を展開しました。弟子には現在の天然物化学研究、または学会活動などの基盤をつくりあげた、北原喜男、伊藤椒(共に東北大)、機能性分子研究の村田一郎(阪大)、共役電子系の化学の小田雅司(阪大)、天然物合成化学の吉越昭(東北大)、正宗-Bergman反応で有名な正宗悟(MIT)などがいます。それぞれ伊藤椒は現在天然物合成特にエンジイン、ポリエーテル化合物の合成の権威である平間正博、吉越昭からは複雑天然物合成研究を行っていた宮下正昭(北大)を輩出しました。
野副鉄男
真島の最終弟子である、久保田尚志(阪市大)は植物苦味物質の研究を行いました。
現在では系譜の最も末端に当たる研究者も多くは(すべてではありません)退官もしくは故人となっており、この系譜が日本の有機化学創世期のものであるかわかると思います。これを学んだからといって研究に役立つわけではありません。しかし。我々は同じ化学者として先駆者達の最低限の歴史は学んでおくべきではないでしょうか。
[1] 当時杉野目晴貞教授の助教授が松本毅であった。 [2] 現在は大野の後をついだ柴崎正勝教授の研究室となっている(2008年11月現在)。 [3] 多くの近代化学史に関するすばらしい書籍を残している。