前回につづき、イノベーションの例を見ながら共通項を探っていきましょう。
前回のつづき。イノベーションに関して何が一体キーとなるのか、今回は前回に加え薬学に関わる実業化の実例を挙げてみることで共通項をくくりだし、まとめていきます。
おさらいですが、前述の小林氏は著書の中で
①開発(品)が人間に対して持つ「価値」の発見、設計または再認識
②想い、情熱、哲学
③厳しく指導しつつも長期間見守ってくれるリーダー
が必要と述べていました。これらが医薬系の事例でも当てはまるのでしょうか。
【医薬系】
「アリセプト」・・・エーザイ社/1980年代?~ 2000年前後
杉本八郎教授(同志社大学院大学院脳科学研究科チェアプロフェッサー)とアリセプトの分子構造
世界で最初にアルツハイマーに対する進行抑制効果が実績として認められた「アリセプト」開発リーダの杉本八郎氏。これに対抗できる登録医薬は今のところガランミタン(→●)など数種しかなく、実績ベースで見てもまだまだアリセプトへの期待は高い状況です。
同氏の興味深い研究者人生は様々な書物で語られていますが、世界初のこの薬を実現させたのは、御尊母を苦しめた病を直したいという①②合わさった想い と氏の粘り強さ、それを支えた③内藤晴夫部長(当時/現社長)でした。15年間、合計200億円も投入して成果が出てこないプロジェクトなんざ、『アタマの良い 方々』が判断したら「アタマの悪い奴に」「非論理的な無駄遣いをさせている」としか映らないでしょう。すぐ止めろ、というのが論理的です。しかし同社はそ うした見方に流されず、やりきったのです。加えてそこに同社の高レベルの知見、技術開発が重なり実現した新薬であると言えます。
なお最近まで同氏の書いた文面 → ●(㈲レギュラトリーサイエンス研究所文書)を読むまで知らなかったのですが、開発の佳境で進め方を見直して薬効よりも安定性などを見直し、バランスのとれた合成品に立ち戻っているという、いわば後戻りを経験しています。この後戻りが出来た事実は開発体制には非常に重要なことだったという印象を受けました。開発上は後戻り=失敗なのですが、それを許容できる職場、会社、上司は極めて稀だからです。
同文書にはこうした色々な失敗や迷いが赤裸々に書いてありますが、開発にあたり協力してくれた方々の名前が明記されており、同氏の人柄が窺い知れる興味深い内容になっています。こうした人がリーダだったから実現した部分も多いでしょう(『合成5検体/日』はちょっとカンベンですが)。
「エルカ酸+オレイン酸」・・・Croda社/1990年前後
「ロレンツォのオイル」という映画で有名な、油成分から成るこの薬。筆者が敬愛する有機化学美術館殿(→ ●) で詳細な紹介をされていた、全く薬学に関係ないご両親が自分の子供のために実質①②だけで難病の抑制薬(発症初期に限られますが)を発明してしまった案件です。これも『アタマ』の良い方から見たら「素人が何をぬかすか」という見方が論理的でしょう。しかし、キーとなる「人体を騙す」コンセプトを現実化したことは、規模はやや小さいかもしれませんが、インベンションでありイノベーションでもあると思っています。
実際に処方されているLorenzo Oilと映画のフライヤーで使われた写真
いずれも “Myelin Reseach Project” HPより引用 → ●
なおこの映画、後日談があります(英語版Wikipediaより引用→ ●)。 映画の中で反対派の最先鋒(悪役)として描かれたニコライス教授。モデルになった人物はHugo Mosarという研究者(2007年に死去)で、実際に懐疑派だったために映画の中で実名が出てこなかったのですが、実はその後、効果に疑念が持たれ続けていたこのオイルに関し2005年に「治療薬としては効果が薄いが、 予防薬としては十分に適する」という、重要な結論(論文はこちら→ ● ●)を出した最大の功労者だったのです。これで20年かけて実証性が示された、という点で③も揃ってたことになりますが、どの分野でも、映画等のメディアに頼るだけでなく、事実をきちんと知 ることは大事ですね。
「スタチン」・・・三共社/1980年前後
いまや総市場数兆円レベルにまで増加した脂質低下薬。その主役となったのは三共(現 第一三共社)の遠藤章博士です。日本国際賞など、数多の賞を受けられていますから詳細は各書籍に譲るものとして、どのようにこのイノベーションが為されたかにスポットをあててみましょう。
遠藤博士と、初代スタチンの「コンパクチン」(図は日本心臓財団より引用 → ●)
高脂血症の治療薬であるスタチンには、開発に実に17年が費やされています。遠藤博士に関する記述を整理してみますと、市販化まで3回の大きなプロジェクト停止の危機が生じていました(参考紙面/本田財団ライブラリ → ●)。
A、 「ラットに脂質低減効果が無い」問題 (後に「健常ラットを使っているから」と解明、復活)
B、 「肝毒症発生の疑いあり」問題 (阪大 山本教授の援助により疑いを跳ね除け復活)
C、「発癌性の疑いあり」問題 (金沢大 馬淵教授の論文により疑いを跳ね除け復活)
他にも、メルク社の裏切りに近い行為による先出問題と特許問題があったようです。が、これらの問題を乗り越えて市販化に繋げることが出来たのは、アメリカ人の生活に密着し「コレステロールの低減」というニーズを捉えなおした(①)点と、上記発酵・菌類を切り口に患者さんを救いたいという遠藤博士本人の強い意思(②)、そして数々の問題に対しても、会社に阿ず同氏を一貫して支え続けた当時の発酵研究所所長、有馬洪(ありま こう)氏の存在があったと述べておられます(③)。①②③、やはり全部そろってますね。
ただ、まだ鷹揚な時代だったとは言え、かなり危ない橋も渡っていたことも言及されています(日本心臓財団のインタビューを参照 → ● )。一方、遠藤博士ご自身もリーダーとして様々なスタッフの協力を得ており、自分だけでこの成果を得られたわけではないことを明言している姿勢も化学者の鏡と言えると思います。
まとめ
以上、化学系、薬学系で色々実例を見てきましたが、いずれも①②③の部分どのケースにも共通しており、小林氏の言われるように、想いは非論理的、でも研究は論理的に行っていたというのが共通したことだと思います。もちろんこれに当てはまらないものも山ほどありますし、NHKの○ロジェクトXのように報道やインタビューに対し実情とがかけ離れた場合もあることを認識しておかなければならず、筆者も引き続き各ケースを調査していきたい所存です。
・・・ただ、こうした1個のイノベーションの陰には往々にして1000個近い屍が転がっているのも事実です。研究・開発系に関わるとよく聞く「千、三つ」という言葉は経験則ですが普遍的なものでもあるのでしょう。
加えて、この屍を創るかもしれないトライアルのため、本流を支えてくれる人たちが「オペレーション」を実施できる人たちが居ないとイノベーションもクソもありません。ホンダの場合は藤沢副社長という名経営者(オペレータ)が居たため会社が回ったように、要はオペレーションとイノベーションは持ちつ持たれつの関係にあるということを、研究開発部隊は常に留意する必要があると思います。
しかし逆にオペレーションに引きずられて、論理性ばかりにこだわり研究開発を行うと、予想が出来ることしかできず、最終的にご立派な報告書だけしか残らない結果となってしまうわけです。そして、イノベーションとしての結果は問われず次年度も同じことが起こる。小林氏はこれを一番危惧していると感じます。筆者もまったく同意見で、ろくでもない組織肥大や権力拡大に金を使うくらいなら、誰も出来てない新しい価値観や材料に挑戦しようとしている、優秀かつ心のある化学者たちに長く細く資金を供給する方がよっぽど社会のためになると思います。
以上、結論としては、不確定性の高いイノベーションの性質だけでなくオペレーションをも理解するトップが居なければその組織からイノベーションは産まれてこないだろう、ということです。というのも、組織を維持しつつ「詐欺師同然のアホンダラ共」に「ムダ金を投資した挙句」、「何も残らなかった(組織に貢献しなかった)」というリスクが起こり得るイノベーションに対する批判と責任を負えるのはトップだけだからです。そして、その連中が必ず貢献すると信じ続けることが出来るのもトップだけなのです(アホンダラ共が自分たちで トップになる道も残ってはいますが、大体失敗して出世からは外れるので往々にして困難)。
そして、そうした非論理的な体制を社会の中で築き、①②③が揃う環境に身を置ける状態を継続出来ることが非常に困難だからこそ、イノベーションというものは滅多に創発してこないのだと感じています。小林氏が理想とするような環境は求めてもなかなか得られるものではないですが、小規模でもそうし た「場」を作っていけるような工夫をしていかなければなりませんね。
それでは今回はこんなところで。
最後に、小林氏のエピソードを一つ付けて終わりにします(前述の久米社長のインタビューより引用・「情報管理 」 Vol.34 No.3 6月号 1991年刊行)。筆者も死ぬまでにこのような心が震える経験を得られれば、と願っております。
『・・・エアバッグなんてのは(略)売り出してから(小林氏が)心配で心配で寝られなかったと言ってました。そして、最初に事故を起こして、ドライバーの方が怪我もなく助かったと聞いた時には会いに飛んでいったようですよ。・・・「あなたがこのエアバッグを作ってくれた人ですか。ありがとう」と言われて握手されたときには・・・腕の中の血管の位置が全部わかったって言ってました。『私、もうこれで本望だ』と。』