前回につづき、イノベーションの例を見ながら共通項を探っていきましょう。
前回のつづき。イノベーションに関して何が一体キーとなるのか、化学に関わる実業化の例を挙げてみることで共通項をくくりだしていきましょう。
おさらいですが、前述の小林氏は著書の中で
①開発(品)が人間に対して持つ「価値」の発見、設計または再認識
②想い、情熱、哲学
③厳しく指導しつつも長期間見守ってくれるリーダー
が必要と述べていました。これらが化学系の事例でも当てはまるのでしょうか。
【化学系】
「Haber-Bosch法」・・・BASF社/1909年~1913年 画像は何れもドイツ語版Wikipediaより引用
個人的に化学史上で一番大きなイノベーションはやはりBASFによるアンモニア量産です。異論はあるでしょうが、合成システムが100年経った今でもほとんどそのシステムの骨格が変わらないという、普遍的な合成方法なのです(なお、昨年はトンベースでの合成開始からちょうど100年目にあたります!)。
Haberが生み出した発明をもとに人工肥料の必要性を見出し、たった4年間でメイン課題を解決しイノベーションを実現したBoschの①②たるや、比類なきものです。また③についてはあまり知られていませんが、当時BASFの会長で、人工藍(Indigo)の大量生産に成功した研究者でもあったHeinlich von Brunk という人物がおり、しくじれば会社を傾けかねないような若者たちの研究開発を資金面・方針面で支えてくれていました(Brunk自身はHaber-Bosch法の完成直前にこの世を去りました)。このHaber-Bosch法に関わる詳細な歴史は過去の記事をご覧ください → ●。
「ポリグリコール酸」・・・クレハ社/1980年代?~2012年
ポリグリコール酸による各種製品 同社が世界で初めて量産化(同社HPより引用→ ●)
次の例は上記に比べだいぶ最近なのですが、自分の仕事に近いところでかなりインパクトがあったのは「ポリグリコール酸(PGA)の工業化」です。PGAは高強度・高ガスバリア性を持ち、かつ高温や発酵環境下で分解されやすい、優れた生分解性を持つポリマーのことで、1930年代(!)には既にDuPontにて、かの有名なナイロンの産みの親、カロザース博士によって合成可能であることが確認されていました。
カロザース博士とその時狙った重合反応 反応自体は平衡反応のもよう(写真はWikipediaより引用→ ●)
しかし、こんなに簡単な構造なのに高分子量化、量産化は困難を極めました。当時から何社かが量産化を試みましたが結局次々と脱落していき、残ったのは「クレハ」社のみ。クレラップで有名ですね(同社HP → ●)。
その同社にしても、年4000トンペースで出来るようになったのは実は一昨年。クレハ社がDuPont製のグリコール酸をもとに福島の工場でパイロット試作を開始したのが2002年。しかし、その後9年経ってようやく合成収率を90%付近まで引き上げることが出来、2012年に晴れて量産化を実現しました。またその中で、原料を天然ガス由来に変えることにも成功しています。
技術開発開始から含めると実に30年。これだけの長い期間、研究開発を同じテーマとして継続出来るということは近年の企業の中でも異端と思われます。しかしその異端を突き進んだ結果、ポリグリコール酸の合成は同社しか出来ず、事実上独占状態となったわけです。ガスバリアフィルムや医薬用用途、最近ではその良好な分解性からシェールガスの採掘時の造孔剤としても需要が高まっています。
この長期間にわたる開発を実質的に支えたのは、30年間にわたり継続した開発チーム。更にそれを長年支え続けた岩崎隆夫社長(故人)の「日経ものづくり」誌インタビューを参照すると、このイノベーションを成し遂げるには生成物である水による加水分解が起こりやすい従来の反応ルートを見直すのに加え、3つの技術的課題が壁になったようでした。つまり、
1. PGA前駆体(グリコライド)の高純度合成
2. 反応物の重質化(高粘度化)
3. ポリマー化の分子量・反応収率を上げる条件
の3つです。特に1.の条件には相当苦労したようで、長く開発が停滞していた中、開発チームが社内の農薬研究員から溶媒選定についてアドバイスを受けることでようやく収率を90%まで持ってこれるようになったことを述べていました。その際、かなり高沸点(250℃以上?)かつ分子量の高い極性溶媒を用いる特徴的な合成法を採用しているようです。なお3.では特許を見ると(→ ●)最終的には溶融重合+バルク重合で合成していますがこの点もかなり難易度が高かったのではないかと推測します。
新設した反応ルートと各ポイント(経産省「ものづくり大賞」HP資料より図を改編して引用 → ●)
その他技術的な詳細は「高分子」2013年12月号に詳しい(→ ●)
この中で印象的だった言葉としては、「継続的な収益を生む事業を育てるには、大体30年のロングレンジが必要」「その中で研究員たちは駅伝のように成果のタスキを渡していかなければならない」「転換点になったのは1.の溶媒の選定だが、数多くの研究員の成果・貢献に支えられて達成できた」(要旨・引用は『日経ものづくり2009年3月号』より)の3点でした。岩崎社長がこの「ロングレンジ」が必要であることを理解していたのは③に該当します。加えて、同社の製品群を見てみると非常に息の長い製品が多くシェアが高い製品が数多く占めていることから、①②はおそらく社風として根付いているのではないでしょうか。同社長が早くに亡くなられたのは非常に残念なことに思います(化学日報工業殿による同氏への弔文 → ●)。
「超高強度ガラス」・・・ガラス会社各社/1960年代?~ 現在
最後に、iPhoneに装着されているコーニング社の超高強度ガラス「ゴリラガラス」の例を挙げます。このガラスは極めて強靭な強度と耐スクラッチ性を持つアルミナシリカ系ガラスです。下の映像を見たときはガセじゃねぇかと思いたくなりました。
超高強度ガラス「Gollira Glass 2」動画(図をクリック願います・Youtube 同社公式サイトより)
その強靭さ、柔軟さは驚愕に値する
実はこの高強度ガラスの実現性は、1960年代のコーニング社による”Muscle Project”( → ●)で既に見出されていました。下図のように、ガラス表面を溶融塩(溶融カリウム塩)に浸すことでガラス表面のナトリウムイオンが交換、よりイオン半径の大きいカリウムイオンがアルミナシリカガラスに置き換わることで圧縮応力をガラス表面に発生させ、キズが発生するような力がかかってもキズを伸ばしにくくするコンセプトです。今は一般的な手法だそうですが、当初はイオンの浸透に時間がかかるためコストがなかなか下がらない問題があったようです(冷却方法を変えることで解決したとのこと)。
高強度化のイメージ・溶融塩にガラスを浸すことで表面のイオンが置換し圧縮応力に対し強化される
(図は”Gases and Instruments”誌 2013年12月号 → ● より改編して引用)
? ところが大体完成したはいいものの、ニーズが予想していたほど見つからない。”Chemcor”というブランドで販売したものの、医薬品関係かプラント関係のごく一部、レース車両の軽量化、飛行機用の特殊ガラスといったニッチ市場にしかその存在を示せませんでした。しかし同社はそれでも継続して開発を続けていきます。そして2000年前後、アップル社のジョブス社長の要望によりiPhone用の大量発注を受け、爆発的にその生産量が増加。それ以来同社は高強度ガラス生産で世界トップを走っています。
このケースの場合は②は必ずしも明らかではありませんが(コーニング社内HPには一応開発物語として “Bill Armistead”という方が1960年代の初期の開発に携わったことが描かれています → ●)、市場規模が少なくとも上位方針として技術の意義を理解し、販売・開発を継続していた①③があったからこそ爆発的な需要に対応出来たケースであると言えるでしょう。同社の歴史はこうした継続的なR&Dに基づいており、その体力はハンパではないと改めて認識しました(同社の歴史まとめ→●)。
なお日本のガラス界の雄、旭硝子もこれに対抗して「Dragontrail」というこれまた凄まじい高強度を持つガラスを開発。個人的にはこの商品名が好きなので勝手に同社を推しています。
旭硝子社製 “Dragontrail” Gorilla Glassと同様の高強度を示す Sony Xperia等に採用されている
(図はこちら→ ● より引用)
現在はコーニング社と旭硝子社、ショット社と及び日本電気硝子社とで仁義なき激しい戦いが続いているものと思われます。最近の話題では、先日発表になったコーニング社の韓国工場建設がありますが、スマホ最大手のサムソンとの強い繋がりを見込んで実現した事項ですね。ただ、実は静岡工場のラインを畳んであちらに移動したので、あんまりうれしい話ではなかったりします。
ということで、また長くなってしまったので今回(化学系)はここまで。次回は薬学系に関するイノベーション事例を見て、最後にまとめてみたいと思います。