「100年の難問はなぜ解けたのか」
数年前、「ポアンカレ予想」をロシアの数学者Grigory Yakovlevich Perelmanが解決して話題になりました。Perelmanのフィールズ賞の辞退、ミレニアム賞の辞退(賞金100万ドル)などもあり、数学に興味の無い人でも耳にしたことがあるのでないのでしょうか。
フェルマーの定理しかりケプラー予想しかり、未解決のリーマン予想しかり、数学には何百年も昔に提起された問題を解決するというロマンがあると思います。
化学の領域でもそういうことがあります。
今回、70年間未解決とされてきたカビによるtropoloneの生合成がRussell J. Coxらのグループにより解明されました。
’’Genetic, molecular, and biochemical basis of fungal tropolone biosynthesis’’
Jack Davison, Ahmed al Fahad, Menghao Cai, Zhongshu Song, Samar Y. Yehia, Colin M. Lazarus, Andrew M. Bailey, Thomas J. Simpson, and Russell J. Cox
Proc. Natl. Acad. Sci. USA, early edition doi:10.1073/pnas.1201469109
stipitatic acid
今回の論文では、カビの生産するtropoloneの一つであるstipitatic acidの生合成について明らかにされました。一見すると七員環の簡単な構造に見えますが、構造決定までの道のりは長かったようです。
1942年にHarold Raistrickらは、Penicillium stiptiatumよりstipitatic acid(C8H6O5)の単離を報告しました。しかし、彼らの必死の努力に反しstipitatic acidの構造は決定できませんでした。
その3年後、Michael Dewarがstipitatic acidの構造決定を行ない、Nature誌に報告しました。
このtopoloneの構造決定は、非ベンゼン系芳香族化合物の分野に影響を与え、化学者の環状π電子系の理解も促したそうです。
tropoloneの生合成
tropoloneの生合成についての研究はこれまでも数多く行なわれてきました。各種の放射標識実験や投与実験によりなどにより生合成経路のおおまかな予想は立っており、3-methylorcinaldehydeがstipitatic acidの前駆体となることは明らかとなっておりました。
Coxらは、2007年に3-methylorcinaldehydeを合成する酵素、3-methylorcinaldehyde synthase(MOS)を明らかにしました。この研究がtropoloneの生合成研究に関してのひとつのマイルストーンだったと筆者は考えています。
というのも、植物などと違い微生物では生合成遺伝子がクラスターを形成しています。
つまり、3-methylorcinaldehydeを生合成する酵素(MOS)を見つけてしまえば、その酵素をコードする遺伝子のホモログを使って遺伝子クラスターを探し出すことが出来るからです。
今回、Coxらは3-methylorcialdehyde synthase(MOS)の遺伝子のホモログを用いて、4つの遺伝子クラスターを得て、そのうちのひとつの11のORFからなる遺伝子クラスターに着目しました。
Coxらは、この遺伝子クラスター内に3つの酸化酵素を見つけました。
TsL1 : FAD-dependent monooxygenase (FMO)
TsL2 : cytochrome P450 monooxygenase
TsR5 : non heme iron dependent dioxygenase (NHI)
環拡大反応のメカニズム
tropoloneの生合成でこれまでずっと謎だったのは、環拡大反応のメカニズムでした。先行研究により、図に示したようにRouteAを経由するかRouteBを経由するかまでは明らかにされていました。Route A、Route Bともに酸化酵素が関与していると予想されていました。
そこで、Coxらは得られた3つの酸化酵素のそれぞれの破壊株の実験とin vtiroでの活性評価を行ないました。
その結果、下に示すような生合成経路が明らかとなりました。結局、Route Aが正しく、tropoloneの生合成にはFMOとNHIが関わっていました。
まず、FMOが3-methylorcialdehydeの3位のメチル基の根元に水酸基を入れます。その後、NHIにより3位のメチル基の末端が水酸化され、pinacol型の転移反応が起こり、環拡大が起きます。
科学の進歩
論文中で著者らは、70年来の謎が解けたと述べていますが、少々大袈裟なような気もします。単に、stipitatic acidが単離されたのが70年前だと言う気がします。。。しかし、今回得られたFMOとNHIのホモログを元に検索すれば、他の種のtropoloneの生合成遺伝子クラスターも明らかにすることができるため、生合成研究としては大きな進展では無いかと思います。
今回のような論文を読むと科学の進歩を強く感じます。
70年以上前は、今のように分光器が充実していなくて、構造決定に非常に長い時間を要していました。例えば、morphineは単離されてから絶対構造の決定までに150年かかっています。
また、70年前は生合成研究もそれほど盛んでは無かったのではないかと思います。単離されてくる中間体と思われる化合物だけを元に生合成経路を考えていたのではないでしょうか。
その後、放射線同位体元素が利用されるようになり生合成経路もより分かるようになってきましたが、まだまだモヤモヤした感じが残っていました。どのような反応が起こっているのか分からないブラックボックス状態でした。
さらに時代は進み、酵素レベルで研究が行われるようになり、各ステップの反応も徐々に分かり始め生合成研究のレベルがより一層高まってきました。
そして近代、遺伝子情報はインターネットを通じて簡単に入手することが可能となり、生合成研究はスピード勝負になってきました。
生合成研究と有機化学
生合成研究と言うと、有機合成とほど遠い学問分野だと思われるかもしれません。実際、遺伝子やタンパクを扱う実験がほとんどです。しかし、両者には非常に似ている点が多数存在します。
まず、生合成経路を考えるときは、逆生合成解析をし、各ステップにどのような酵素(反応)が関わっていそうか見当をつけます。これは、天然物の全合成で逆合成解析をするのとほぼ同じです。
そして、その生合成経路の中には、必ず鍵反応または鍵中間体が存在しています。今回の論文では、FMO, NHIの酸化酵素による環拡大反応が鍵反応でした。また、鍵中間体はMOSによって生合成される3-methylorcinaldehydeでした。
生合成研究は、実際に行なう実験は生化学的なものが多いのに、考察では有機化学の力が要求されるという非常におもしろい分野だと思います。興味を持ってくれる人が増えれば良いなと思います。
参考文献
- ’’Studies in the biochemistry of microorganisms 70. Stipitatic acid, C8H6O5 , a metabolic product of Penicillium stipitatum Thom’’ Birkinshaw JH, Chambers AR, Raistrick H., Biochem J, 36, 242-251, (1942) DOI: www.pnas.org/cgi/doi/10.1073/pnas.1201469109
- ’’Structure of stipitatic acid’’ Dewar MJS, Nature, 155, 50–51, (1945)
- ’’Stipitatonic acid biosynthesis—incorporation of [formyl-C-14]- 3-methylorcylaldehyde and [C-14]stipitaldehydic acid, a new tropolone metabolite’’ Bryant R, Light R, Biochemistry, 13, 1516–1522 (1974) DOI: 10.1021/bi00704a030
- ’Characterisation of 3-methylorcinaldehyde synthase (MOS) in Acremonium strictum: first observation of a reductive release mechanism during polyketide biosynthesis’’Andrew M. Bailey, Russell J. Cox, Kate Harley, Colin M. Lazarus, Thomas J. Simpson and Elizabeth Skellam, Chem. Commun., 4053–4055 (2007) DOI: 10.1039/B708614H
- ’’ Biosynthesis Part 30. Colchicine: Studies on the ring expansion step focusing on the fate of the hydrogens at C-4 of autumnaline’’ Sheldrake P, et al., J Chem Soc Perkin Trans 1, 3003–3009 (1998) DOI: 10.1039/A803853H
- ’’A fresh look at natural tropolonoids’’ Ronald Bnetley, Nat. Prod. Rep., 25, 118-138 (2008) DOI: 10.1039/B711474E