自然界には自然界のルールがあり、科学とはそのルールを一つ一つまた一つと解明していく人類の営みと言えます。しかし、時に自然は自らが作り出したルールを自身の手で破ることがあります。今回はそんな“掟破り”がどのようなメカニズムに依るのかという疑問の一つに答えを出した論文を紹介したいと思います。 シンガポール大学や北海道大学の及川英秋教授らのグループはイオノフォア抗生物質の一つであるlasalocid Aの生合成に関わるタンパク質の立体構造の解明と計算化学を用いた生合成機構の提案に関する論文がNature誌に報告しました。
Enzymatic Catalysis of anti-Baldwin Ring Closure in Polyether Biosynthesis Hotta, K.; Chen, X.; Paton, R. S.; Minami, A.; Li, H.; Swaminathan, K.; Mathews, I. I.; Watanabe, K.; Oikawa, H.; Houk, K. N.; Kim, C.-Y. Nature 483, 355–358 (2012). DOI: 10.1038/nature10865
本題に入る前に、イオノフォア抗生物質などについて簡単に触れたいと思います。 イオノフォアとは端的に言うと細胞の膜を行き来するイオンのバランスをおかしくしてしまう物質の事で、膜を貫通するイオンの通り道(チャネル)を作り出すことによってイオンの往来を自由にしてしまう物質や、ある特定のイオンに結合して膜を通過してしまう物質があります。 イオン濃度のバランスは生体にとって重要です。細胞内外のプロトン濃度差は細胞が生きていく上で必要なエネルギーを生み出す駆動力となりますが、このプロトン濃度差が無くなると細胞内のミトコンドリアにおけるATP生産が低下したり、細胞内へのカルシウム流入が促進されたりして最終的には細胞死に至ります。
図 Monencinの構造(左) monencinとナトリウムイオンの複合体(右) 右図は英語版Wikipediaより引用
例えば代表的なイオノフォアであるmonencinは図のように親水的なナトリウムイオンを多数の酸素原子によって内側に包み込み、外側には疎水的な環境を剥き出しにすることによって疎水性の細胞膜を容易く通過します。Monencinは上述のような作用により病原菌を殺すことができるため、家畜飼料へ添加されるなど広く用いられています。
図 Ciguatoxin (CTX-1B)の構造
また、海洋プランクトンが生産するシガテラ毒として知られるciguatoxinなどは動物細胞のナトリウムチャネルに作用し、ナトリウム透過性を高めることによってその毒性を発現します。このシガテラによる中毒ではドライアイスセンセーションと呼ばれる温度感覚の異常が特徴的で、あたかもドライアイスに触って凍傷になったかのような障害が現れます。
図 Brevetoxinの生合成仮説
さて、これらの化合物には五、六、七・・・等大きさは様々ではありますが多数の環状のエーテル構造が共通して存在することが特徴的なことから、時にポリエーテルと呼ばれます。酸素原子の非共有電子対に由来する適度な極性と、疎水的な炭素環の両面を持つこと、またciguatoxinやbrevetoxinでは疎水的なハシゴ状の分子構造によって細胞膜、もしくはチャネルとの相互作用をすることが毒性発現の鍵となっています。それでは、このような構造はどのようにして生合成されるのでしょうか? まだ完全に解明されているとは言い難いですが、例えば赤潮の原因となる渦鞭毛藻が作り出すbrevetoxinの場合、長鎖のポリエンが同一面からのエポキシ化を受けた後、連続的にエーテル環が作られていくという生合成経路が提唱されています。[2]矢印についての解説はこちらを参照してください。 この閉環反応はエポキシドに対する求核置換反応である為、求核種である酸素がエポキシド付け根の炭素のどちらに反応するかによって二種類の生成物が考えられます。
図 THF環かTHP環か
例えば上の例で考えると、五員環エーテル(以下THF)が形成される場合と、六員環エーテル(以下THP) が形成される場合が考えられます。 Brevetoxinのように主にTHP環で構成される場合と、 monencinのように主としてTHF環で構成されるものが存在することから、生体内では両方の反応が起こっていることは明らかです。しかし有機化学的 には、即ち上のような基質を用意してフラスコの中で反応を行った場合では圧倒的に一方のみが選択的に得られてきます。
このような分子内で起こる閉環反応ではどちらの生成物が優先して得られるのかはBaldwin則[1]により予測することが可能です(Baldwin則の説明はこちら)。簡単に説明すると数字は形成される環の大きさを、endo、exoはそれぞれ切断される結合が形成される環の内側か外側のどちらにあるかを、最後のtet、trig、digは求核攻撃を受ける炭素がそれぞれsp3 (tetrahedral)、sp2 (trigonal)、sp (digonal) 混成軌道であることを表します。Baldwin則によれば、5-exo-tetは進行しやすいのに対し、6-endo-tetは進行しづらいことになる為、図の反応ではTHF環ができる反応が優先します。
図 Lasalocid Aの構造
ようやくここで本題に入りますが、今回シンガポール大、北大などのグループが取り組んだのがlasalocid Aの生合成酵素に関する研究です。Lasalocid AにはTHF環とTHP環が並んでおり、それぞれ5-exo環化、6-endo環化で生合成されたと考えることができます。
彼らはまずこの反応を触媒する酵素Lsd19と、基質となる化合物との共結晶を弱酸性下作成し、X-線結晶構造解析を試みました。その結果、Lsd19には二つの反応を触媒するドメイン(Lsd19A, Lsd19B)が存在し、あたかも二つの酵素が短い鎖で連結したような構造をしていました。
図 Lsd19と基質複合体の立体構造 (Lsd19AとLsd19Bの二つのドメインにそれぞれ基質(炭素鎖黄色)がある) 図は論文より引用し筆者により一部改編
詳細は割愛しますが、結論としてLsd19Aの部分はBaldwin則に従った最初のTHF環を、Lsd19Bの部分がBaldwin則に従わない最後のTHF環の構築に関わっていることがわかりました。しかし不思議なことにLsd19Bのポケットに入り込んだ基質は、既に二つのTHFが組み上がってしまい、lasalocidとは異なる構造(下図 isolasaloxid A型)で存在していました。これは酸性で結晶を作ったことが影響してしまったようで、やはりBaldwin則の壁はそんな簡単には超えられないということを示しているように思えます。
図 Lasalocid Aの生合成機構
彼らは以前の研究で170番目のアスパラギン酸や197番目のグルタミン酸に変異(アラニンに置換)を入れると一つ目のTHF環の形成で止まった化合物(上図左下)が蓄積し、非酵素的な反応によりわずかにisolasalocid型化合物が得られるということを報告しています。[3] その結果と今回のX-線結晶構造解析の結果から、やはり重要なのは170番目のアスパラギン酸(D170)、さらに251番目のチロシン(Y251)であることを突きとめ、最後は計算化学(量子力学的密度範関数計算)を用いてTHP環形成機構の謎に答えを出しています。 モデル基質を用いた計算では、やはり酸性、塩基性どちらでも5-exo環化が有利に進むという結果が得られるのに対し、Lsd19Bの酵素活性中心における重要なアミノ酸(D170, Y251)の位置関係を、X-線結晶構造解析のデータを基にして反応の遷移状態に適用し、5-exo環化、6-endo環化それぞれの活性化エネルギーとギブスエネルギーの変化を計算してみました。
図 モデル化合物の反応遷移状態の計算結果 下図は論文より引用
すると、見事にチロシンのフェノール性水酸基がエポキシドに配位し、アスパラギン酸のカルボニル基が水酸基のプロトンと配位するような形で反応が進行するとして、6-endo環化の方が5-exo環化より2.5 kcal/mol有利であることが示されました。これは100:1程度の選択性が発現するほどの差です。図では差はほとんど無いように見えますが、5-exo環化の方が若干切断されるエポキシ環のC-O結合が長くなっており(2.04 オングストローム)、その分不利になっているのかなあと推察します。 さて、この研究によりBaldwin則に合致するかしないかという二種の活性中心を有する酵素(lasalocidの場合はLsd19AとLsd19Bは一つの酵素ですが)があれば、それらを組み合わせることによって天然のポリエーテル化合物は自由自在に生合成可能と考えられます。Ciguatoxinやbrevetoxinのようなハシゴ状のエーテル環を有する化合物が一つづつ段階的に環を組み上げていくとは少し考えづらいので必ずしも全てのポリエーテルが同様の機構で合成されているとは思いませんが、いずれにしてもBaldwin則の壁を酵素が破る仕組みでは、ほんの些細なアミノ酸の位置関係が反応の制御に重要なんだということを見せつけられました。繊細な仕組みで自然界の掟を破る方法を編み出す酵素に脱帽です。 掟破りの逆Baldwinを仕掛けるとはLsd19は正に酵素界の藤波辰爾なのではないでしょうか(これが言いたかっただけ?)。
- 参考文献
- 関連書籍