本書のタイトルにもなっている「メタノールエコノミー」とは、ノーベル賞化学者でもあるジョージ・A・オラーらが1990年代より提唱している社会構想のことです。
これを一言で述べるならば、「化石燃料主体のエネルギー経済を、メタノールを主体とするものに変えていこう」とする提言になります。
大変素晴らしい書籍で、筆者個人は大いに感銘を受けました。以下そのエッセンスを紹介してみたいと思います。
メタノールを燃料にすることの利点
化石燃料の採掘可能量は、技術の進歩により増加してきました。しかし近年になってその可能量は確実に頭打ちになりつつあるとされています。代替となる次世代エネルギー源の開発は、喫緊の課題とされています。
現在もっとも理想的なエネルギー源として考えられているのは「水素」です。燃料電池などを介してエネルギーをとり出すことができ、この際に水以外の廃棄物を原理的に生じない点や、エネルギー密度が高い点などが魅力とされています。
しかし水素エネルギーを実用に供するには、以下のような避けがたい問題点と直面しなくてはなりません。克服にはいずれも長期的研究を要し、現状解決しうる目処はほとんど立っていません。
・現行の水素製造プロセスは、結局のところ化石燃料のクラッキングに頼っている
・安全かつ多量に貯蔵・運搬できる方法が存在していない
・敏感で取り扱いが難しく、専門知識に欠ける一般人が気軽に扱える代物ではない
その一方で本書の著者、ジョージ・オラーは、エネルギー媒体としての「メタノール」は、水素に比べて以下のようなメリットがあると述べています。
・ メタノールのエネルギー密度・水素含有度は高く、既存燃料に比べて圧倒的にクリーン
・ 軽量な液体であり、安全で取り扱い容易
例えば全世界の石油消費量の内訳で、最も多くを占めるのは輸送目的です。
「水素経済社会」の顔たる水素燃料自動車は、環境にやさしい理想的な乗り物とされています。しかし実際には走行時の安全性や、大容量貯蔵タンクの設計などにおいて、越えがたいハードルが存在しています。一方で「液体のメタノールを燃料とする自動車」であれば、既存のガソリンエンジンやタンクに改良を加える(主には副生するH2Oに対する耐性を上げる)だけで、そのまま技術転用ができるわけです。最近ではメタノールから直接エネルギーを取り出すことのできる燃料電池(Direct Methanol Fuel Cell, DMFC)の開発も進んでいます。輸送にかかるエネルギーを効率化する手段としてメタノールの使用は大変現実的というわけです。
メタノールを燃料として使う方式は、ガソリン・石油などに頼る現行のインフラをそのまま活用できます。インフラの構築にはもちろんエネルギーが必要なので利点は極めて大きく、またそれを享受できるのは、自動車業界に限らないわけです。【エネルギーインフラの刷新にかかるコストを抑えるべく、液体燃料という道で既存系の転用を図る】というのがメタノール・エコノミー構想が与える斬新な視点の一つです。
CO2を再生可能なエネルギー媒体として捉える
メタノールを燃料として用いる考え方には、ひとつ大きな欠点があります。それはエネルギー抽出の際に、どうしても等量のCO2が排出されてしまうこと。
しかし本書ではこの点をマイナスと見るのではなく、独自視点から利点を打ち出して、壮大な社会構想にまで導いています。
その基板となるのがカーボンニュートラルと呼ばれる考え方。 簡単にいえば、何かしらのエネルギー消費活動を行った際に、排出される二酸化炭素と吸収される二酸化炭素が同じであれば、カーボンニュートラルだ、とする見方です。
メタノールは炭素一つからなる化合物なので、CO2を還元してメタノールに再生する技術さえ整えば、理屈の上ではCO2を排出することなく使える―つまり、「カーボンニュートラルな再生可能エネルギー」になりえます。再生過程に太陽光などのクリーンエネルギーを使うことが出来れば理想的です。ただ現時点での最大の問題は、大気中CO2を回収し、メタノールへと効率的に再生するプロセスの欠如とされています。ここに今後とも多くの技術革新が必要になるとしています。
一見してややエネルギー的に見合わないように見えてしまう過程ではありますが、もし実現出来れば数値的な意義以上の価値がもたらされます。それは【資源偏在のない化学物質を、エネルギー貯蔵/運搬媒体として使う】という地球規模の視点から捉える社会のあり方です。
資源的独占に関わる外交は、特に資源小国である日本にとって大変厳しい問題です(昨今のレアアース問題などでご存知の方も少なくないでしょう)。資源産出地域の偏在や、政治的に不安定な地域からの産出がコストや入手性を大きく規定しているため、権利関係を巡って様々ないさかいが世界で起きているのも現実です。
CO2はそこらじゅうに存在しているため、それをエネルギー媒体として用いる社会が実現すれば、そのような問題をそもそも考えなくてもよくなるわけです。エネルギー媒体の輸送にかかるコストも単純に減らせますし、CO2を工業的な炭素資源として用いるという工業的応用にも直結します。このようなプロセスは水素経済社会だと間接的にならざるを得ないため、メタノール経済社会ならではの利点と見る事ができます。
バイオエタノールなど、アルコールを燃料源とみなす提案はほかにもありますが、あえて「メタノール・エコノミー」とすべきは、【人間活動は人工的な設計によって、本質的に循環可能なサイクルに組み込むことができる】という壮大な思想の実現に向けた現実的な道筋を示している点にあるといえそうです。
次世代エネルギーといえば即「水素」だろう―筆者も漠然とそう考えていた一人だったのですが、技術の水準が理想に追いついておらず、夢物語的な印象がぬぐいきれない思いもありました。このような折に、「化石燃料→水素への移行段階を橋渡しする役割として、メタノールこそが有効」とする考え方は、大変に斬新であり、また十二分に意義深いものと感じられました。
本書は450ページ強となかなかに骨太ですが、エネルギー研究の潮流と未来に興味のある方にとっては必読書だと思います。浮き足立った世論に絡めとられず、一歩引いた現実的な視点からエネルギー問題を見つめなおす為のきっかけになってくれることでしょう。
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関連動画
関連文献
[1] Olah, G. A. Angew. Chem. Int. Ed. 2005, 44, 2636. doi:10.1002/anie.200462121[2] Olah, G. A.; Prakash G. K. S.; Goeppert, A. J. Org. Chem. 2009, 74, 487. doi:10.1021/jo801260f
[3] Methanol Economy – Wikipedia
関連リンク
- The Methanol Economy (Technology Review) Olah教授へのインタビュー
- The Methanol Economy
- Methanol fuel - Wikipedia
- 直接メタノール燃料電池 – Wikipedia
- アルコール燃料 – Wikipedia
- Exploring the Methanol Economy ジョージ・ブッシュ米大統領とジョージ・オラー教授の討論音声。